長谷川幸洋『ジャーナリズムが問われる「デフレ」という敗戦の責任』

経済記者は「マネー」をどう考えるのか

 経済記者になって、最初にとまどう問題の一つは「マネーをどうみるか」である。

 マネーはつかみどころがない。失業とか倒産なら現実の状況が目に見えるので、苦しさは実感をもって分かる。だがマネーとなると、あれば便利なのはだれもが知っていても、それが景気にどうつながるのかと問われると、抽象的で分かりにくい。

 それでもマネーは経済ニュースの中心だ。連載12回(※vol.023 2013年4月10日配信)で書いたように、たとえば「株価が上がった」とか「下がった」という記事は「原初的な経済ニュース」だった。為替が「1ドル=100円に迫った」という話も日本経済の行方と密接にかかわっている。

 いったい、マネーとは何か。これは経済学の問題でもあるが、経済ジャーナリズムにとっても避けて通れない重要な要素である。

 そんな大事な話であるにもかかわらず、株価や物価の上げ下げから一歩踏み込んで「日本銀行がマネーをたくさん出すのはいいことか、悪いことか」という政策の話になると、もうそこで経済学者やエコノミストの間で議論が分かれてしまう。すると、多くの経済記者たちも混乱して何が何だか分からなくなる。

 たとえば前回紹介したように、朝日新聞は齊藤誠一橋大学大学院教授にインタビューして、デフレは「日本経済の国際競争力が弱くなったから」であり、デフレを脱却するためには「高い生活水準を保とうと思ったら、それに見合う労働の質が必要。一人ひとりがきっちりトレーニングしないといけない」という齊藤の見解を伝えた(朝日新聞 2月27日付 長朝刊)。

 このデフレの説明でマネーの話は出てこない。それどころか、齊藤は「みんな金融政策の責任にすりかえようとしている」と指摘している。ようするに「デフレとマネーは関係ない」という立場である。齊藤にインタビューした朝日記者も同じ考えであるようだ。

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