一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
山岸 浩史

──コンピュータに勝てなくなっても、プロ棋士の存在価値は揺らがないでしょうか?

関係ない、というのが本心です。やはり、将棋は人間が指してこそ面白いのだと思います

だが、そのあと山本さんの口調から、歯切れのよさが影をひそめた。

ただ、自分の中でもたしかに矛盾はあるんです。人間がコンピュータに負けてほしくはなくて、電王戦でもponanza以外はみんな人間を応援していました。

ずっと将棋をやってきた者としては、プロの権威を傷つけたくはない。でも開発者としては、ソフトの力を試したい。葛藤があります。傷つきなんかしない、杞憂だとは思うけど、でも杞憂であってほしいという願望かもしれない。

うーん、やっぱり杞憂かな……でもそうでもないかな……わからないです。だけど、こういうことは、これからどの分野でも起こることですよね。でも……すみません、混迷しています

途切れがちな言葉の間にこそ、ファンも含めたいまの将棋界の人々の気持ちが集約されているように思った。

山本さんが言う「プロの権威」の点で、チェスと将棋には決定的な違いがある。

世界規模で競技人口を持つチェスには、そもそも制度としての「プロ」が存在せず、大会参加資格も基本的にはオープンだ。対して将棋には、厳然とした「プロ」と「アマ」の区別がある。プロ資格を得るには、プロ棋士養成機関である「奨励会」という難関を突破しなくてはならない。

奨励会員の多くは子どものときに入会して将棋一筋の青春を送るが、そのうちプロ(四段)になれるのはわずか2割ほど。しかも、原則として26歳までにプロになれなければ退会、という過酷な年齢制限がある。

だからこそ、将棋界において「プロの権威」は絶対的なのであり、コンピュータに敗れるショックをチェスの世界と同じには語れないのだ。

そのあと、山本さんはまた声を弾ませた。

「電王戦では結果こそこちらが幸いしましたが、プロはやはり強い、と思いました。コンピュータが得意な『読み』のところで、人間のほうが上回っていることがありました。佐藤さんが真っ向から斬り合いにきてくれたおかげで、人間の強さがわかったのがうれしかったです」

事前提供の問題については何が「正解」なのか、難しいところだが、開発者たちの話を聞いているうちに、ソフトがなんとも「人間くさい」ものに思えてきた。

コンピュータ将棋の研究はさまざまな分野での応用が考えられるが、彼らは純粋にソフトを強くすることに情熱を注ぎ、走り続け、気がつくとプロ棋士に追いついてしまっていたのだろう。20年ほど前まではアマチュアにも勝てなかったソフトをそこまで強くしたのは、まぎれもなく彼ら「人間」の力だ。

そう考えると、「人間とコンピュータの対決」というフレームにも、どれだけの意味があるのだろうと思えてくる。そのフレームの中で、「歴史的な敗者」という位置づけになってしまったのが佐藤四段と船江五段だ。

コンピュータに負けたことは、棋士の糧になった

「今回の経験で、将棋観が変わりました。人間とはまったく違う基準で選ばれた手でも、立派に成立するということがわかりました。これからは僕も、ソフトを研究に使おうと思います」

コンピュータとの対決に臨む揺れる心情、敗れたときの痛恨を率直に吐露したブログで多くの人の胸を熱くした、5人の中で最も「人間くさい棋士」ともいえる佐藤は、驚くほど素直に、コンピュータのことを認めていた。

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