一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
山岸 浩史

習甦の開発者、竹内章さん(45歳)は、第1局で阿部に癖を見抜かれて敗れたことについて、こう受け止めている。

「あの敗戦で、貴重な課題を突きつけられました。あの攻めが無理だったことは、プロの先生に負かされて初めてわかることです。ふだん、強くない相手と指していても、無理が通って勝ってしまうこともありますから、気づきにくいんです」

なるほど、「バグ」を見つけてあげればコンピュータも進歩できる、とは阿部も話していたが、本当に「バグ」なのかどうかは、プロ棋士でなければ正しく判定できないのだ。つまり、事前提供は勝負には損だったが、ソフトの進歩には役立ったことになる。

竹内さんには、あの羽生善治に勝つという大きな目標がある。だからソフト名「習甦」にも「羽」「生」の文字が入っている。しかも、ただ「勝つ」だけではなく、そこに壮大なロマンも求めている。

「コンピュータの強みを生かしてプロに勝つことは可能になってきましたが、それでは人間を超えたことにはならないと私は思っています。私は、コンピュータの弱いところを高めて勝ちたいんです。大局観や序盤の構想といった、コンピュータが弱いところを高めて、あらゆる面で人間に近づけて勝つのが私の理想です」

これからは、一風変わった研究テーマにも取り組んでいくという。

「人間らしい投了図を作れるソフトの研究です。飯田弘之先生(北陸先端科学技術大学院大学教授:プロ棋士でもある)のご指導のもと、この4月から研究を始めました。

つまりプロ棋士のように、負けを覚悟したときに美しい局面で投了することができるソフトです。広い意味では、コンピュータに芸術や知性を理解させることをめざす研究です」

コンピュータに人間らしさを求める竹内さんと、プログラマーになりたかったという阿部。第1局はどこか対照的な図式だったところが面白い。「竹内さんとゆっくりお話がしてみたかった」と語った阿部は、第5局の控え室に竹内さんが姿を現すと、うれしそうに言葉をかけていた。

ソフトという「わが子」が棋士と指すうれしさ

第3局で船江恒平五段を破ったツツカナの開発者、一丸貴則さん(28歳)は、出場する5人の棋士全員にツツカナを事前提供するという「大盤ぶるまい」をしている。そのことが私には大きな謎だった。一丸さんはこう説明する。

「コンピュータの弱点には、そのソフトに特有の弱点もあれば、コンピュータ将棋一般に共通する弱点もあります。棋士の皆さんが事前に研究するなら、複数のソフトを研究してコンピュータ一般の弱点を見つけてもらったほうが、コンピュータ将棋のことを棋士にも深く知ってもらえると思ったんです。

それに、コンピュータはどうしても変な手も指します。棋士が本番でそれに戸惑って余計な時間を使ってほしくない、という意味もありました。やはり実力を出しきってほしいですから。将棋の内容がよくなるための事前提供なら、私はいいと思います」

思いもよらない考え方だった。勝負についての棋士と研究者の考え方の違い、いわば「文化」の違いについてはGPS将棋開発者の1人、金子知適さんも話してくれたが、一丸さんはそもそも電王戦を勝負として見ていなかったようにも思えてくる。

だが一丸さんも、決して勝負を度外視していたわけではない。第3局では、ツツカナが開始早々に指した「7四歩」という手が話題になった。本来のツツカナはオーソドックスな定跡どおりの指し方をするのだが、船江の研究をはずすため、一丸さんが本番用に選んだ奇襲作戦だった。

──事前提供の裏をかいて、なかなか策士だなと思ってしまったのですが。

やはり勝負という意味では事前提供は不利ですから、それを消すためでした。ただ、どうやって定跡をはずすかは悩みました。

7四歩を選んだのは、船江さんの師匠の井上慶太九段がときどき使っている作戦なので、船江さんにもある程度、なじみはあるのではないかと期待したからです。これがいちばん公平に近い条件になるのではないかと

思わず、参りましたと言いそうになった。実際に船江は「7四歩」について、研究したことがあったのでそう戸惑いはなかったと局後に語っている。

──一丸さんにとって、この電王戦にはどのような意味がありましたか?

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