一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
山岸 浩史

7七玉──。なんとPuella αも玉を上に動かし、入玉を策してきたのである。

そのときの塚田の気持ちは、察するに余りある。

「完全にパニックになりました。『聞いてねえよ!』だったか、たぶん何か口に出していた気がします。それでもまだ信じられずにいたのですが、8六玉、7五玉と、玉がどんどん進んでくるじゃないですか。ああ、本当に入玉してくるんだ、と一手一手がショックで……。

完全に入玉されたときは絶望のどん底でした。(チーム戦ではなく)自分1人の勝負だったら当然、投げています」

Puella αの開発者である伊藤英紀さんは、対局後に記者の質問に答えて、入玉についてもPuella αには若干の対策が施されていたことを明かしている。

ソフトの「癖」を突くのは、あるべき戦い方なのか

このあとの塚田の、プロ棋士としてのプライドをかなぐり捨てたような戦いを未見の方は、ぜひニコニコ動画のタイムシフトなどでご覧いただきたい。人間が相手なら絶対不可能であろう引き分けに持ち込めたのは、Puella αが「持ち点勝負」にまだ対応できていなかったからだが、塚田と同じことをやってのけられる棋士も、ほかに何人いるだろう。

ついに塚田の持ち点が規定の24点に達したとき、大盤解説会場の六本木ニコファーレで起きた拍手。駒数を数える塚田がまるでオーケストラの指揮者のように人差し指を激しく動かす姿。そして終局後、記者の「投了は考えませんでしたか」との質問に答える途中で流した涙。いずれも時代の過渡期でなければ見られない光景だろう。

「コンピュータがこんなに強いと思わなかったので苦しかったけど、いま思えば楽しかったです。引き分けてこれほど喜んでいただけるとは思いませんでしたし。

もし、第3回電王戦があるなら、もう一度出たいくらいです。塚田はもういい、と言われそうですけどね(笑)」

そばを通りかかったある女流棋士が、塚田に気がついて近寄ってきた。「あれ(第4局)を見て、将棋をやる気になった女の子がいましたよ」とうれしそうに言う。ある意味で歴史的な「塚田の引き分け」が、多くの人の将棋への関心を喚起したことはたしかだろう。

「これからは米長前会長の言葉どおり、将棋界とコンピュータ将棋が共存共栄していければいいと思います。ケンカせず、仲よくね」

だが、そう言ったあと、塚田はやや改まった口調になった。

「真面目な話、もし第3回があるなら、その運営委員に立候補したいと思っています。今回の経験を生かして、もっと公平な条件で棋士が戦えるように考えていきたいんです」

条件を公平にするためとして塚田が強調したのが、開発者から棋士への「ソフトの事前提供」の義務づけだった。今回の電王戦では、第1局の習甦、第3局のツツカナ、第5局のGPS将棋が事前に棋士に提供された。塚田の場合は、Puella αの前身であるボンクラーズが提供されたが、それには入玉についての対策が施されていなかった。

「ソフトがどのくらい強いのか、どんな癖があるのか、といった実態がわからないまま戦うのは厳しいです。事前提供が可能なのに応じない場合は、出場を認めるべきではないと私は考えています。向こうは、こちらがどんなタイプの棋士かを知っていて対策を立ててくるのですから」

阿部の話で納得できた気がした疑問が、また蘇ってきた。

──しかし、プロとしては相手の癖など関係なく、将棋で勝つべきではないでしょうか?

人間どうしの勝負だったら、そのとおりです。でもコンピュータとの勝負は、異質なものとして分けて考えるべきです。人間どうしの勝負と同じ考え方で勝てるほど、甘くはないんです

「美しい局面で投了するソフト」を作りたい

事前提供はコンピュータにとって、勝負の上では不利なことだろう。開発者たちの考えも聞いてみたところ、はからずも彼らの個性豊かな発想やこだわりが見えてきた。