一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
山岸 浩史

怖がらない、疲れない、最後まであきらめない

トコトコトコ、ペタッ。そんな擬音を入れたくなるような動作で控え室に入り、検討用の盤が置かれた机の前に座り込んだ男、いや男の子がいた。座るなり、がさがさとコンビニの袋からパンを取り出し、もぐもぐと食べはじめる。

ちゃんとスーツは着ているが、就活中の学生よりもずっと幼く見える。真っ白な肌に、紅い頬。「おっ、来たな、人類最強の男」と周りから声がかかる。

電王戦第1局に先鋒として登場し、人間にここまで唯一の勝利をもたらした阿部光瑠四段だった。史上7番目の若さでプロ棋士になって2年、まだ18歳だ。大量にペットボトルのお茶を持参して研究する気満々のところを申し訳ないと思いながら、話を聞かせてもらった。

──阿部さんはなぜ、電王戦に出場することになったのですか?

米長(邦雄)先生が第1回で負けたソフト『ボンクラーズ』を強いなと思っていまして、『強いソフトと指してみたいな』と先輩の棋士に言ったら、『電王戦に立候補したら?』と勧められたんです。そこで、軽い気持ちで立候補してみたらすぐに通りました(笑)

青森県出身の阿部は、のどかなお国訛りを残しながら話す。控え室の張りつめた空気が、彼の声でのほほんと和んでいくようだった。

──コンピュータに負けた最初の現役プロ棋士になってしまうのではないか、というプレッシャーはなかったんですか?

僕、勘違いをしていて、米長先生が最初だと思ってたんです(筆者注:米長は対局時すでに引退していた)。本当のことを知っていたら、もっとプレッシャーがあったと思います

阿部のあとに戦った第4局までの3人の棋士は、それぞれに傷を負っている。だが、この呑気そうな少年も、実はまったく「無傷」だったわけではない。

阿部の勝利は、いわば相手のソフト「習甦」(しゅうそ)の「癖」を利用したものだった。習甦の開発者は事前に、阿部にソフトを提供(貸し出し)していた。それを相手に200局ほど指した阿部は、習甦にはある展開になると「自爆」ともいえる無理な攻めを仕掛けてくる癖があることを見抜いた。そして本番で、みごとにその仕掛けを誘って完勝した。

だが、この作戦について、ネット上で「ソフトのバグを利用しただけ」「将棋に勝ったとはいえない」などと批判の声が上がったのだ。正直なところ、実は私にも同じ疑問があった。プロ棋士なら正々堂々、将棋の力で勝つべきではないかと。

──勝ったのに、批判がありましたね。

はい、いろいろ書かれました。僕はネットが好きだから、そういうのも全部見ています

──つ、強いんですね、心が。

全然気にしていません。いろいろな考えの人がいますから

──そうした批判に対しては、どう考えているのですか?

そもそも僕は、コンピュータとの勝負は人間どうしの将棋とは違う、別のゲームだと考えています。ですから、『将棋のプロなのだから将棋で勝たなくては』とは思っていなかったです。『ルールにさえ違反しなければいい』と思っていました。

コンピュータが人間を超えるのは『時間の問題』です。もう、コンピュータとまともに戦うことにこだわっている時代ではないと思います

きっぱりと、阿部はそう答えた。

それに、バグを見つけてあげれば、その分、コンピュータも進歩できるじゃないですか。僕はもともとコンピュータゲームが好きで、ゲームプログラマーになりたいと思ったこともあって、いや、いまもなりたいくらいですけど、だからバグを探すのも好きなんです

──実際に戦ってみて、コンピュータの実力をどう感じましたか?

強かったです。人間は、自分が不利になりそうな変化は怖くて、読みたくないから、もっと安全な道を行こうとしますよね。でも、コンピュータは怖がらずにちゃんと読んで、踏み込んでくる。強いはずですよ。

怖がらない、疲れない、勝ちたいと思わない、ボコボコにされても最後まであきらめない。これはみんな、本当は人間の棋士にとって必要なことなのだとわかりました。

僕は習甦のおかげで強くなれたと思っています。コンピュータのおかげで人間が進歩すれば、またコンピュータも進歩する。そんな関係でいいんじゃないでしょうか

「コンピュータと戦った人じゃないと、わからないことがある」

──さっきGPSが三浦八段に対して指した不思議な仕掛けについては、どう思いますか?

十分にありえる手だと思いますよ。これからプロどうしの対局で現れてもおかしくないんじゃないでしょうか。今後は序盤の、根本的な構想のところまで、コンピュータの影響を受けるようになっていくと僕は思います

もし阿部の言うとおりだとしたら、GPSは「新定跡」を編み出した可能性がある。

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