一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
山岸 浩史

──事前の研究で、GPSの弱点には気づきませんでしたか?

明らかな癖などは見つかりませんでした。でも逆に、それでよかったと思っています。

もし見つかっていれば、そこを衝くべきかどうか思い悩んだでしょうから。弱点を衝いて勝ったとしても、それで勝ったといえるのかというところがありますので。ただ団体戦だから、本当はやりたくなくてもそうすべきだという考え方もありますし・・・難しいところです

羽生、渡辺がコンピュータと戦う日

この勝負によって考え方に何か変化があったかを尋ねると、三浦は「将棋のことじゃなくてもいいですか」と前置きして、こんなことを語った。

「太平洋戦争について、『なぜ日本軍はあんな無謀な戦いをしたのか』とよくいわれるじゃないですか。でも、本当はあのとき日本軍にも、冷静にアメリカの強さを計算できた人はいたと思うんです。お互いの国力を比較して、もし最悪の予想が的中した場合は、勝ち目はないと。

それでも開戦に踏み切れたのは、まさか相手がそこまで強いとは思わなかったからなのでしょう。ところが、いざ戦ってみたら、そのまさかだった。そういうことだったのだろうと思うんです。今回の勝負で私は、そういうことは実際に起こりえるのだと学びました」

最後に言っておきたいこととして、三浦はこう話した。

「悔いのない戦いができたのはよかったのですが、結果として興行的に次回に興味をつなげられなかったことを申し訳なく思っています。

開発者の方々にも、お詫びしたいと思っています。システムがダウンしないようにとか、私が気持ちよく対局できるようにとか、すごく気を遣っていただきました。記者会見のときは気持ちの切り替えができず、そのお礼をちゃんと言えませんでした。

開発者の方々とお話をしていると、本当に純粋に、ソフトのことを子どものように思っているのがわかります。だから、あれだけ強くなるのでしょう。そういう気持ちを、自分はつい忘れかけていました。

将棋連盟の棋士として勝たなくてはならないという立場を別にすれば、GPSは指していて楽しい相手でした。自分より明らかに強い相手と指すという、将棋本来の楽しさを思い出させてくれました。もしも、どこか誰も知らないところでひっそりと対戦できていたら、どんなによかっただろうと思います」

***

羽生善治三冠は、コンピュータと戦うなら全公式戦を休場して準備する必要があると発言した。渡辺明三冠は、自分に順番が回ってくるのは当分先だと思っていたが、その見解は甘すぎたようだとブログに書いている。第3回電王戦が実現したとき、羽生、渡辺という将棋界の2人のスーパースターに、はたして出番は来るのだろうか。

興行である以上、「勝負」が強調されるのはやむをえない。だが、それだけでなく将棋界は、いつか訪れる「その日」への心の準備を、もうしておくべきではないだろうか。

「人間にしか指せない将棋」とは何か。プロとして「売り」にすべきものは何か。これらを問われるときは、いつか必ず来るだろう。

そのとき将棋界がどうなるのか、私などにはまったく予想がつかない。ただ三浦の論法を借りれば、最も楽観的な予想がありうる一方で、最も悲観的な予想が現実のものになる可能性もあるのではないだろうか。

もっとも、この2つの問いはコンピュータに突きつけられるまでもなく、これまでも議論されてきたことのように思う。たとえば、終盤戦まで前例と同一手順をなぞるような将棋が増えたり、独創的な新手が出るとあっという間に研究で丸裸にされたりする情報化の流れは、本当にもう変えようがないのだろうか。個人的には、もし何かが変わるきっかけになるのなら、この電王戦ショックはむしろ大歓迎ではないかとさえ思う。

棋士だけでなく、メディアやファンもいずれは、一局の将棋から勝敗や手の善悪だけではない多くのものを汲みとれるような、ある種の「成熟」が求められることになるのだろう。

プロ棋士が「神」でなくなる日は、いずれにしても迫っている。神話が滅んだとき、衰退していった世界はたくさんあった。将棋界がもちこたえられるかどうか、将棋に関わる人たちの、将棋への「愛」が試されている気がしてならない。

〈了〉

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/