第1章「検索データからインフルエンザ流行を予測したグーグル」他はこちらをご覧ください。
もう少し歴史的な視点から、現在の情報洪水を昔の情報革命と比較してみよう。
グーテンベルクが印刷機を発明したのは、1439年ごろのこと。歴史家のエリザベス・アインシュタインによれば、1453年から1503年の50年間におよそ800万冊の本が印刷されたという。その1200年ほど前のコンスタンティノープル建設以来、欧州では写本、つまり筆写者がせっせと書物を生み出してきたわけだが、その写本を全部足しても印刷機誕生からたった50年間に作られた800万冊には及ばない。
言い換えれば、欧州では蓄積された情報の量がわずか50年でほぼ倍増したことになる(当時、世界中の全蓄積情報のうち、欧州が圧倒的なシェアを占めていたはずだ)。ちなみに、現在では、情報量は約3年で倍増している。
この増加は何を意味しているのか。NASAジェット推進研究所勤務を経てグーグルで人工知能研究を手がけるピーター・ノーヴィグは、絵にたとえて次のように説明する。
まず思い浮かべてほしいのは、フランスのラスコー洞窟で見つかった、有名な馬の絵だ。あれが描かれたのは、約1万7000年前の旧石器時代にさかのぼる。次に馬の写真を想像してほしい。あるいはピカソの絵でもいい。いずれにせよ、洞窟の壁画とまるで違うとまでは言えない。現に、ピカソはラスコーの壁画を見て「我々は(ラスコー以来)何も考案していない」と自虐的に語ったことがある。
ピカソの言葉は、ある面では真実を突いているのだが、別の角度から見るとそうでもない。昔は馬の絵を描くのに長い時間がかかったが、今なら「写真」という形であっという間に馬の姿を再現できる。これは変化ではあるが、本質的な変化とは言えない。どちらも馬のイメージであることに変わりないからだ。
それでは、馬の姿を取り込み、1秒間に24コマの速さで動かすと、どうだろうか。量が増えることで質まで変化することになる。動画は、静止画とは根本的に違う。
これと同じことが、ビッグデータにも言える。量が変わることで、本質も変わるのだ。規模の変化がときに状態の変化を生むことは、物理学や生物学で学んだとおりである。