かつて、あるプロレスラーが、私にこんな風に言ったことがある。
「楽しみながら、明るくやりたいんですよ。やっている自分が楽しくなきゃ、お客さんにも楽しさが伝わらないでしょ」
これは違うと思った。楽しんでいる人間は熱を生むことなどできない。必死になって、自分が壊れそうになるほどに苦しみ、緊張して何かと闘う時にのみ、熱は生じるのだ。
繰り返すが、プロレスはいまも、30年前も肉体演劇である。そこに違いはない。だが、30年前、プロレスラーたちは対戦相手ではなく世間と闘っていた。
あらかじめ勝敗を決めていることをひた隠し、たとえ虚構であってもプロレスというジャンルを構築し続けることに必死だったのだ。そこには緊張感があり、それが熱として観る者に届いていた。
そんな話を黙って聞いていた友人は私に言った。
「そうだね。でも、もう時代が違うんだよ」
そうかもしれない。でも緊張感は、どんな時代にも生じるはずだ。肉体がカッコよければ、それで良いというものではない。技が派手ならば、それでいいわけでもない。面白ければ、いいはずもない。そんなものは観ても5分で忘れる。
だが、緊張感はヒトの中に熱として残る。プロレス人気回復のヒントが、そこに隠されているように思う。