感動読み物 有名スポーツ選手 人生最大の「失敗」からどう立ち直ったのか 内川聖一「WBC走塁ミス」駒野友一「南アW杯PK失敗」 高橋尚子「五輪直前のケガ」ほか

週刊現代 プロフィール

「僕が入団したころの横浜は'98年に日本一になったメンバーの方が残っていた。高卒1年目の選手が大先輩の前で、自分を表現することはできなかった。縮こまっていましたね」

 プロ3年目にはイップスになった。セカンドからファーストへ、短い距離の送球ができない。そんな時、出会ったのが臨床心理士の武野顕吾氏だった。キッカケはイップスだったが、内川はもっと大事なものを手に入れた。

「考え方というか、ものごとの捉え方が変わりましたね。武野さんと出会って、物事をいろんな角度から見られるようになった。一つの見方しかできないと、上手くいかないものはずっと上手くいかない。アプローチ法が一つしかないんだから、当然ですよね? それを右から、あるいは裏から見れば、自分の成長に繋がる見方があるかもしれない。そう考えられるようになった」

ダメな自分を認めること

 そしてこの意識改革がプロ人生最大の危機を救う。プロ7年目のオフ。「活躍が長続きしない波のある選手」との"万年レギュラー候補"評に嫌気がさした内川は大分に帰省した際、母にこう宣言した。今年ダメなら引退する—。

「親父は僕が生まれたころから、高校野球の監督をやっていました。僕は同世代の誰よりも長く、野球とともに生きてきた自負がある。それなのに、結果が出ない。野球が嫌いになりそうでした。ならば辞めてしまったほうがいいのでは、と考えたんです。だけど一方で『まだ若いんだから頑張りなさい』と止めてくれることを期待していた。ところが、母はアッサリ、こう言ったんです。『やること全部やってダメなら、帰ってくればいいんじゃないの?』と。俺は本当にやるべきことを全部やったのか? と考え直すキッカケになった」

 '08年から杉村繁氏が打撃コーチに就任したことも大きかった。

「前年までヤクルトにいたスギさんは、僕が長所だと信じていたことを欠点だと指摘しました。それまでの僕はバットがボールに押し込まれるのが嫌で、できるだけ体よりも前で打つことを意識していた。だけどスギさんは『それが一番、もろい形なんだよ』と言う。『ミートはできても、体の前で打つと力強い打球は飛ばない。相手からしたら、怖くない』と。バッティングにはそこそこ自信を持っていましたから、昔の僕なら聞き流していたかもしれない。自分のものの見方を問い直していた転換期だったからこそ、素直に聞けたのかなと思います」

 内川は打撃改造に着手。ポイントを体の近くにおき、最短距離で強く叩くスタイルにガラリと変えた。右打者としてプロ野球最高となる打率3割7分8厘をマークしたのはこのシーズンである。

「大事なのは自分がやったことを後悔しないこと。それがベストだったと考えること。もし悪い結果に終わっても、『こうアプローチしたら、違ったかも』『将来につながる、意味のある失敗だったのかもしれない』と、次の日には前向きな気持ちになっていること」