二宮清純レポート ダルのこと、大谷翔平のことを語りつくす
陽岱鋼「なぜ日ハムはいいチームなのか」

週刊現代 プロフィール

「バーニーは後方のフライを捕るのがメチャうまかった。ホームラン性の打球を何本もぎ取ったことか。でも、ひょっとしたら陽の方がもっとうまいかもしれない。チャージも速いし、肩も強い。これにスローイングの正確性が増せば、メジャーリーグでもトップクラスの外野手になれますよ」

 メジャーリーグで5年間プレーした吉井の言葉だけに説得力がある。

 ショートとして高校生ドラフト1巡目で2006年に日本ハムに入団した陽が、外野にコンバートされたのは'09年6月のことだ。

 当時の監督・梨田昌孝はコンバートの理由を、こう説明する。

「ショート・イップスというんですかね。ゲッツーの時、短いボールをうまくセカンドに放れないんです。長い距離の送球はいいんですが、短い距離が苦手。それだったら持ち前の身体能力と守備範囲をいかすため外野でやらそうと……」

 能力と適性をいかすための転向指令だったわけだが、当初、本人の気持ちは複雑だった。

「すごいショックだったですよ。だってショートで頑張ろうと思ってプロの世界に入ってきたわけですから。その夢をひとつ諦めなくちゃいけない……。

(二軍の)監督室に呼ばれた時には、"あっ、オレ、トレードに出されるんだ!?"と思いましたから。そこで正式に外野へのコンバートを告げられたんです」

 球団も苦肉の策だったようだ。山田正雄GMが振り返る。

「ウチは陽を金子誠の後釜として育てるために獲ったんです。ところが簡単なゴロをミスして悪送球しちゃう。これが何回か続いた。これ以上、ショートをやらせていたら本人がダメになるんじゃないか……。それが一番、心配だったんです」

メンタルの強さ

 外野から内野へのコンバートに比べると、その逆は難しくないとはいえ、それでも慣れるのには時間がかかる。

 まして当時の日本ハムは稲葉篤紀、森本稀哲(現横浜DeNA)、糸井嘉男(現オリックス)ら外野の人材は豊富だった。

「オレ、どこで出ればええの?」

 それが陽の偽らざる心境だった。