ソフトとの対局3日前、「棋界の武蔵」三浦八段が漏らした本音

「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【前編】
山岸 浩史

化け物の能力を端的に表す数字がある。今回出場した各ソフトが、1秒間に読める手の数だ。

習甦(しゅうそ、第1局)が1000万手、ponanza(第2局)が3000万~4500万手、ツツカナ(第3局)が400万手、puella α(第4局)が400万手。そしてGPSはといえば、2億8000万手……(ただし、いくらたくさん読めても方向性が間違っていれば意味はない)。

聞いているこちらのほうが息苦しくなってきて、今回は勝負と内容のどちらにこだわるか、とつい愚問を発してしまった。三浦は即答した。

「この相手には、内容がほんの少しでも悪ければ、勝負になりません。序盤、中盤、終盤、完璧に指すことが求められています。(コンピュータと戦う)楽しみ? まったくないですね」

心を持たないコンピュータは、勝負師の理想の姿

気合十分の表情で対局場に入る三浦八段

午前10時、特別対局室。入室した三浦は目が赤く、下瞼に隈ができているようにも見えた。昨夜はあまり眠れなかったのだろうか。いつのまにか自分が、心の底から三浦の勝利を願っていることに気づいた。

対局が始まると、われわれ取材陣は控え室に移る。そこは、ふだん見慣れないテレビクルーや将棋専門ではない一般の記者たちでごったがえしていた。

こうした光景を見るのは、2005年、サラリーマンから異例のプロ入りを果たした瀬川晶司四段の編入試験対局のとき以来だ。アマチュアながら棋士たちをばたばたとなぎ倒していった瀬川は当時、将棋界の開国を迫って異国からやってきた「黒船」にもたとえられ、大きく騒がれた。

とすれば今回のコンピュータたちは、異星から襲来した「エイリアン」だろうか。控え室には棋士たちも多数つめかけていて、そのなかに「黒船」の姿もあった。私が冒頭の少年の問いをぶつけてみると、瀬川はこう答えた。

「うーん、そう言われると……言葉がないですねえ……。でもこの間、ある人から『コンピュータと互角に戦えるのだからプロ棋士もすごいね』と言われて、少しほっとしました(笑)」

瀬川のプロ入りのときも、将棋界はたしかに大きく揺れ動いた。でも、今回は「異質さ」のレベルがあまりにも違いすぎるように思う。コンピュータ将棋と対峙したときに人間がいかに消耗し、圧迫を感じるかを、第2局に敗れた佐藤四段は後日、このように話してくれた。

「めちゃくちゃ強いとは思わなかったんです。ただ、プロが読む手の数を直感的にしぼっていくのに対して、コンピュータはまったく逆で、変な手も拾ってくる。前後の流れとは関係ない手を指してくるんです。しかも、それが正解のこともある。

こちらは流れで読んでいるから、一手一手、読みを外され、そのたびに持ち時間を使わされて、精神的にも疲れていくんです」

ごく大雑把にいえば、プロ棋士が強いのは、手を「読める」からではなく「読まない」からだ。長年の鍛錬によって、「読まなくてよい手」を直感的に捨てられるから、「読むべき手」に全力を注ぐことができる。

ところが、いま将棋界を襲っているエイリアンたちは、片っ端から手を読む。それに耐えうる「脳」の馬力がある。そして将棋とは、人間が捨ててしまう手のなかに、例外的に「正解」がまぎれこんでいることもあるゲームなのだ。

さらに、第3局に敗れた船江五段はこう話す。

「正直にいえば、勝ったと思ったときがありました。ところが、コンピュータはそこからの粘りがものすごいんです。

人間ならば気持ちが切れて、自分から負けに行ってしまうかもしれませんが、コンピュータは最後まで、心が折れるということがない。どんなに形勢が悪くても、その局面で最も粘れる手を見つけ出してくる。将棋に勝つというのは、本当に大変なことなんだと学びました」

「心」というものを持たないコンピュータこそは、勝負師の「理想の姿」なのだろう。

「人間を超えようなどとは思っていません」

先手が三浦、後手がGPS将棋となって始まった電王戦第5局は、オーソドックスな相矢倉(あいやぐら)の展開から、三浦が得意とする「脇システム」と呼ばれる形になった。これなら、十分に力が出せる。モニターテレビに映る三浦の表情にも、心なしか余裕が生まれたように見えた。

対するGPSは……もちろん表情などない。それどころか、その「身体」も、実はこの対局場にはない。

670台のマシンは駒場の東京大学で稼動していて、そこで決定された指し手が、通信回線で千駄ヶ谷の対局場まで送られてくるのだ。局面ごとに読むべきさまざまな手を、それぞれのマシンが分担して読み進め、司令塔となる1台が、最も有利な手はどれかを決定しているという。

その読みの「中身」が見られるディスプレイが、将棋会館で公開されていた。「4三金」「1四歩」といったたくさんの手が樹形図のように枝分かれしながら連なっていて、却下されれば消え、新しい手が見つかれば表示され、と目まぐるしく変化している。

そして、それぞれの「枝」は、赤あるいは青で色分けされている。自分(GPS)が有利と判断した枝は赤、相手が有利と判断した枝は青になるのだそうだ。