『対中戦略 無益な戦争を回避するために』(近藤大介著)
~第1章より「仕掛けられた反日デモ」他抜粋~

 思えば、かつて1989年に天安門を囲んだ青年たちは、エリート大学生だった。私事になるが、天安門事件は、大学を卒業してニュース雑誌に勤務した私が初めて担当した事件だった。当時、バブルに浮かれた青春時代を送っていた私は、民主化を要求して政府に立ち向かった真摯なエリート青年たちに衝撃を受け、以後中国にのめり込んでいった。

 それから23年ぶりに首都で行われた若者による本格的なデモは、天安門事件とは明らかに異なっていた。デモの対象が中国政府から日本政府に変わったということもあるが、この時のデモに参加した青年たちは、明らかに社会の底辺に巣くう、いわゆる"負け組"だったのだ(中国では彼らを「無業遊民」と呼ぶが、このことは第3章で詳述する)。

 デモ隊と共に亮馬橋路を進んで行くと、公安の車が道路の路肩に沿って10台ほど鈴なりに停まっていた。車内を覗くと、警察官たちは、旨そうに油条(揚げパン)や饅頭を頰張っていた。暢気に携帯電話で彼女と思しき女性と会話している若い警官もいる。その先から日本大使館までは、亮馬橋路の歩道にくまなく公安が張り付いていた。だが、彼らはデモ隊を阻止するどころか、ニヤつきながら「お通しする」役回りだった。

デモ隊を指導する謎の集団

 朝8時過ぎになって、亮馬橋路の日本大使館側の方角から、サングラスをかけた筋肉隆々の私服の男たち10人ほどが歩いてきて、青年たちを4列に行列させた。そして最前列の青年たちに、毛沢東主席のパネル写真を手渡して、"指導"を始めた。

 「いいか、こうやって右手の拳を日本大使館に向かって、グッと突き上げるんだ。そして腹の底から叫べ」

 「スローガンは、『打倒日本、帝国主義!』と『日本鬼子、滚出中国!』(鬼っ子の日本人は中国から出て行け)だ。これを交互に皆で叫ぶんだ」

 青年たちは黙って肯き、私服男たちの指揮の下、何度か練習した。その後「行くぞ!」と気合いを入れて、封鎖された亮馬橋路を日本大使館に向かって行進し始めたのだった。

 一体この私服姿の男たちは何者なのか? その鍛え上げた身体からも、鷹のような目付きからも、シロウトでないのは明白だった。

 日本大使館のやや手前で、3つの籠に山盛りの生卵が積まれていた。「安心農場 憤怒の卵 一人2個 無料受け取り場所」と表示があり、"指導員"たちの指示に従って、青年たちが2個ずつ生卵を摑む。

 さらにその先では、中年女性が待ち受けており、ミネラルウォーターのペットボトルを一人ひとりに配って回った。この日だけで1万を超える卵とミネラルウォーターが配付されたわけで、中国のどこかの機関が支給しているとしか思えなかった。

 いよいよ日本大使館前の踊り場に到着。300人の青年たちは、先ほど教えられたように、「打倒日本! 帝国主義!」「日本鬼子! 滚出中国!」と、腹の底から叫び続けた。そして門や壁に向かって、生卵やペットボトル、それに持参したあらゆる物を投げつけた。