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実際、野田首相が9月11日に「尖閣国有化」を果たすや、中国全土110ヵ所で一斉に、反日デモの嵐が吹き荒れた。前出の中南海関係者が解説する。
「当時、全国の公安(警察)を統轄していたのは、中共中央常務委員(序列9位)の周永康・政法委員会書記だった。江沢民の遠戚としてトップ9の末席に上りつめた周永康は、失脚した薄熙来の親友で、薄と共に"黒い噂"の絶えない人物だった。
そこで江沢民に尻を叩かれ、日本の尖閣国有化を千載一遇のチャンスとばかりに、胡錦濤一派に対して反撃に出たのだ。すなわち、本来なら反日デモを取り締まるはずの公安組織を逆に煽って、反日デモを後押ししたというわけだ」
「北京の日本大使館が危ない」─。この一報を聞いた私は、直ちに北京へ向かった。日本大使館前で最も激しいデモが繰り広げられた9月15日、朝から晩までこのデモ隊の中に紛れて取材した。そこで見えてきたのは、生活苦に悩む若者たちの実態と、彼らを利用して反日暴動を煽った「中国当局の影」だった。
この「最も激しかった一日」を、改めて振り返ってみよう。
9月15日午前7時半、亮馬橋路にある日本大使館から500メートルほど西の地下鉄10号線「亮馬橋駅」のB出口から地上に上がると、青年たちが続々と集まってきて、たちまちその数300人くらいに膨れ上がった。
仲間同士で連れだって来た若者もいるが、一人で来た者も少なくない。彼らに共通しているのは、かなりみすぼらしい格好をしていて、目が血走っていることだ。
その中の一人に話しかけると、次のように答えた。
「河南省から北京へ出てきて内装工事の左官をやっているが、このところの不況で仕事はさっぱりだ。『工体』(地元サッカーチーム『北京国安隊』の本拠地の国立競技場)で叫ぶには入場料が25元かかるが、"鬼子"(日本の蔑称)の大使館前で叫ぶのはタダじゃないか。おまけに英雄扱いされるから、スカッとするのさ」
この青年に、「釣魚島(尖閣諸島)についてどう思うか」と水を向けると、「そんなもの興味ねえよ!」と吐き捨てた。