第31回 福富太郎(その一)
ついた異名は、「キャバレー太郎」。あの高級旅館が毎年彼に魚を贈る理由

福田 和也

 加賀屋の小田禎彦会長にインタビューを申し込んだ事がある。

 赤坂プリンスの客室で、小田さんはアルバムを見せて下さった。

 歌さんと一緒に入浴している写真があり、そこで楽しそうに笑っている顔を見て、私は歌さんが安定した生活を送っていた事を認めて安心した。

 加賀屋で、歌さんは女中頭となり、東京の先端的なサービスを伝授したという。

「その点で、関根歌さんは、加賀屋にとって恩人なのです」

 だから、毎年、つゆのあとさき忌に、魚を送り続けているのだという。

売り上げ日本一、納税額日本一を十年間、維持した

大体、現在はキャバレー自体もまともに理解されておらず、キャバレーとは何ぞやということを知っている人は、ジャーナリストにもほとんどいない。週刊誌を開いても、『ピンクキャバレー』とか『おさわりバー』とか『桃色サロン』などと書いてあるけれども、本人がわかっていて書いているわけではない。それこそミソもクソも一緒にしているのである」(『昭和キャバレー秘史』)

 と、福富さんは云う。

 キャバレーは風俗営業取締法により、お客とホステスが踊れるスペースを設けなければならない。

 十組の男女がダンスをぶつかりあわず踊るためには最低でも二十坪は必要になる。

 しかもバンドも入るので、バンドのステージも用意し、またさまざまなショー―ストリップから手品、歌まで―を行う。

 テープやCDで音楽を流している店は、サロンの営業しか出来ないことになっている。

 これらの条件を満たして、はじめてキャバレーの営業が認可されるのである。

 であるから、実際のところキャバレーは、世間が考えているほど、多くないのだ。

 福富さんは、昭和二十二年から、キャバレーにたずさわってきた。

 何万人というホステスを雇い、東京の盛り場の盛衰をつぶさに見てきた。

 売り上げ日本一、納税額日本一を十年間、維持したという。