特別対談 畑村洋太郎×加藤陽子
「福島原発事故から何を学ぶか」

畑村: 僕は事故調の委員長を引き受けるときに、歴史に対する責任を強く意識しました。ここで調べたものはもう二度と出てこない大事な資料だから、きちんと後世に残さなければいけない、と。

加藤: それは歴史家として、とてもありがたいです。事故調で行った八百人弱の関係者へのヒアリングはいつ公開されるのかわかりませんが、とにかく捨てられないで残っていれば、どうにかなりますから。事故は必ず起こるもの

加藤: この本で私が最もドキッとさせられたのは、原発周辺の住民への「要望」でした。原発の周辺に居住するのであれば、「事業者に対して事故の防止策だけでなく事故の際の対応策の準備を要求すべきであったし、自らの責任で避難することまで想定しておくべきだった」とはっきりお書きになっています。これはかなりシビアな意見ですよね。

畑村: こんなことを言っていいのかと思われるかもしれない。でも、誰も本当のことを言わないでトロトロやっているから、結果的に原発周辺の住民が一番ひどい目に遭っているんですよ。

 泥棒に金をとられたと言って泣いても、誰も助けてくれないでしょう。みんな同情はするし、自衛しない人が悪いと言うつもりもないけれど、ひどい目に遭うのは事実です。やっぱり、自分で考えて動くしかない。

 僕は「個の独立」がすべてに優先すると思っています。人に頼らない、人のせいにしない、逃げるなら逃げるで自分で考える。騙されたと言う人は、責任を他の人に全部転嫁しているんです。でも、もうそういうやり方が通用しない時代が来ている。そのことは言わなきゃいけないと思ったんです。

加藤: たしかに。二度三度となれば、人間は絶望から立ち直れなくなります。

 原発の再稼働をめぐっては、事故の防止策ばかりが表に出てきますが、先生が本書の中で再三指摘されているように、そこには「事故は必ず起こるもの」という大前提が抜け落ちている気がします。だから、いざ起こったときにどうするのか、その対応策まできちんと周辺住民は国や事業者に要求すべし、というのは、ごく当たり前のことなんですね。

畑村: これまでより厳格な安全審査をやって、クリアしたら再稼働しますと言うけど、そういう論理をいつまで振り回すんだろう・・・・・・。これまでも安全だと言って動かしていたわけでしょ? 審査項目が変わったら完璧なんですか? そういうやり方が完璧じゃないということが今回わかったんじゃないですか? 論理として破綻しているんですよ。

加藤: 素人考えですけど、事故への対応策としては、避難するための道路が大事ですよね。福島では道路が大渋滞で動けなくなりました。

畑村: そのとおりです。このまえ川俣町に行って話を聞いたら、富岡街道という道は八十キロ以上、全部車で詰まったそうです。一車線しかないんだから当然でしょう。

 事故は必ず起こるものと考えたら、原発をつくるとは、避難用の道路を整備することまで含むはずなんですよ。でもそんな予算は全然ついていない。だいたい、原発のまわりの町で、迷惑料としてお金をもらっていたのは四つしかないんですね。それ以外の町は放射能が来ただけ。それは怒って当然だよ。