特別対談 畑村洋太郎×加藤陽子
「福島原発事故から何を学ぶか」

畑村: なぜそんな重大な不作為が起きたのか、実際のところはよくわかりません。はっきりしているのは、国にとっても社会にとっても原子力にとっても一番大事なものは何なのかという想像力と、その大事なものが「自分に預託されている」という意識を持たない人間がそこにいた、ということです。

 ただ、その個人を責めるのは、僕は間違いだと思っています。だって、日本中にこの手の問題はありますよね。とりあえず「形だけの運用」をしておけば事足れりとする風潮です。自分では何も考えない。そういう社会になっているんだから。

加藤陽子(かとう・ようこ) 1960年生まれ。東京大学教授。専門は日本近現代史。主な著書に『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『昭和天皇と戦争の世紀』『徴兵制と近代日本』『戦争の日本近現代史』『満州事変から日中戦争へ』などがある。

加藤: 個人の問題にして責めるよりは、もっと構造的な問題として摑むべきだと。

畑村: そうです。そして、社会が本当の意味での安全を求めるのであれば、一人ひとりが自分でそのことを引き受けて考えなければいけない。原発の安全審査もマニュアルも規制庁もいいけれど、一番大事なところを直視しないで、今もまだ形式だけを騒いでいるように僕には見えるんです。

加藤: 本当に根の深い問題ですね。後から見れば、ほんの少しの想像力があればと思いますが、それができなかった。しかも、どうしてそうなったのか、どこで間違えたのか、それを後からトレースすることができない。これは近代日本の軍事史を研究している歴史家として、すごく既視感を覚えます。

 たとえば、日米開戦を決意するにあたって、海軍のある動員課長が調べた「戦争になったら船舶が爆撃されてどのくらい失われるか」というデータが重要な意味を持ちました。彼は開戦派の上司に調べろと言われたから、撃沈数は少ないほうがいいんだろうと忖度(そんたく)して、わざと第一次世界大戦中の古いデータ、つまり航空機による爆撃のない時代のデータを調べて上に提出する。

 その数字が御前会議でも使われて、結局、「撃沈される船舶量より建造できる船舶量のほうが多くなる」「ならば、開戦オーケー」という重大な決定につながりました。

 このとき、その動員課長は、自分の挙げたデータがまさか御前会議まで上がるなどとは思いもしないから、数字の根拠となった積算資料など捨ててしまっているわけです。そもそも彼は船舶の専門家でもなかった。上司から頼まれただけ。だから、後から見ても、開戦にいたる意思決定過程が追えない。

 オフサイトセンターの件も、総務省からの勧告を無視した人は、おそらく何の気なしにそうしたんだと思います。それが決定的に重要なことだとは想像しえないから。想像にすぎませんが、勧告が活かされなかった経緯を示す史料も残されていないのではないか。