「天才」と呼ばれた人が、本物の「天才」に出会ったとき

神童東大生「オレは大したことない」
週刊現代 プロフィール

「生まれて初めて、『こいつには勝てない』と思う人間に出会いました。数学オリンピックは受験数学とは違って、見たことのない問題にどうアタックするかの世界なんですが、僕が手も足も出ない整数論の問題を、パッパッといろんなアイデアを出して解くやつがいた」

凡人には理解できない領域だが、数学はあるレベルを超えると「見える」「見えない」という表現で語られる。日本人が日本語の文章を読んで「文法が正しいかどうか」を判断するのと同じ感覚で、彼らには数式の正誤が「見える」という。

「その意味では、16歳の僕に『見えない』世界が、確実に『見えている』奴がいることに衝撃を受けたんです。その時の気持ちは、負けた悔しさと、『こんなすごいやつがいるんだ』という感動の半々でした」

なかでも際立っていたのが、筑波大附属駒場高校から来ていた、郡山と同じ高校1年生の児玉大樹だった。児玉は解法のアイデアの豊富さから、合宿では「魔法使い」というあだ名で呼ばれていた。

 

「それまで誰にも負けたことがなかったのに、児玉との歴然たる差を突きつけられた。敗北を認めるという意味では、あれが人生で初めての『挫折』でした」

合宿の結果、郡山は最終6名の選から漏れ、児玉は残った。そして児玉はスウェーデンで開かれた第32回数学オリンピックで、銀メダル(上位4分の1)を獲得、さらに翌年のモスクワ大会で、日本人初となる金メダル(上位12分の1)受賞者となるのだった。

2年後—。前述のように「当たり前に」東大に合格した郡山は、そこで児玉と再会し、ともに東大数学科に進むことになる。

「東大数学科でも児玉は別格で、学部時代(3~4年)の成績がオール優だったと思う。それはもう、普通に勉強するだけでは不可能な領域で、やはり勝てないと改めて思いました。二十歳で2度目の敗北を味わったわけです」

だが結果的に、児玉との再会が郡山の生きる道を決めることになる。

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