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第2部 アベノミクスに歴史あり
1 金融論の総本山「プリンストン大学」
私が財務省に入省したのは1980年です。当時は大蔵省ですが、いわゆるキャリア官僚として採用されるのは東大法学部の卒業生ばかり。でも話題づくりのためもあってか、大蔵省は2年に一度くらい東大法学部卒以外の学生も採用していました。じつは私は、この「変人枠」で採用されました。
もともと私は理科系、しかも数学を専門としていました。東大理学部数学科を卒業したあと、経済学部に再び学士入学した。ですから経歴上は一応、東大経済学部卒となっていますが、本来の専門は数学。大蔵省では、数学科出身者の採用は私をふくめわずか3例しかありませんでした。まさしく「変人枠」だったのです。
私の「変人ぶり」は入省直後の研修でさっそくあらわになりました。この新人研修での出来事が20年近くのち、私に金融政策に強い関心を抱かせ、インフレ・ターゲットを主張するきっかけになるのですから、考えてみれば不思議なものです。
当時の大蔵省の新人研修は、横浜銀行の寮を借り切って行われていました。研修期間はおよそ3週間。朝から晩まで課題図書を読み、感想文を書かされる。課題図書のなかの一冊に、城山三郎の『男子の本懐』がありました。浜口雄幸首相と井上準之助大蔵大臣を主役にした、史実に基づいた小説です。
昭和のはじめ、浜口内閣は世界恐慌のただなかで日本経済を舵取りしていくわけですが、浜口首相と井上蔵相の悲願は「金本位制への復帰」でした。強い反対を押し切って、「金解禁」を断行する。金の輸出禁止を解く措置は、日本が金本位制に復帰したことを意味します。よく知られているように、「金解禁」を達成したあとの1930年、浜口はテロに襲われて、翌年に死亡。井上も1932年に暗殺されます。
『男子の本懐』は、浜口雄幸と井上準之助を悲劇のヒーローとして描いている。ふつうの読者なら、「金解禁」に身命を賭したふたりに感情移入するでしょう。実際、研修に参加した同期生たちもみんな「すばらしい」と感想を書いた。数学科出身の私だけがちがっていました。
「なぜ金本位制に復帰することがそんなに大事だったのだろうか」---理詰めで考えるくせがある私はふと素朴な疑問を抱いてしまったのです。