元ダイヤモンドバックスの斎藤隆は、昨年12月中旬に都内のホテルで代理人とともに楽天と交渉に臨んだ際、正面に座った男性の言葉が今でも忘れられない。その男性、球団社長の立花陽三氏は、斎藤に淡々とこう語ったのだ。
「東北から、日本球界を変えていきましょう。力を貸してください」
実は斎藤には、日本の他の球団からもオファーが来ていた。条件は楽天より上だったという。だが斎藤は、立花社長の言葉で楽天入団を決めたと語る。
「僕は仙台出身です。高校(東北高)も大学(東北福祉大)も東北だった。社長の言葉で、僕なら縁の深い仙台の地にチャンピオンフラッグを翻すことに貢献できるんじゃないか。この人の球団なら、仙台から日本球界を引っ張っていけるのではないか。そう感じたんです」
横浜を自由契約となった斎藤が、海を渡ってメジャーに挑戦したのは '06年のことだ。以来7年間で5球団に所属し、通算21勝15敗84セーブ防御率2・34の成績を残している。思い出に残っているのは、 '06年9月18日のパドレス戦。ナ・リーグ西地区首位のパドレスを0.5ゲーム差で追うドジャースは、1点ビハインドの9回表のマウンドを斎藤に託した。
「この日の僕は大乱調。2本の安打と四球で満塁にすると、暴投と犠牲フライで3点を失ったんです。大事な試合を壊してしまい、言葉もありません。僕は頭からタオルをかぶり、ベンチでがっくりとうなだれていました。するとチームの中心打者ガルシアパーラが近づいてきて、耳元でこう囁くんです。『サミー(斎藤の愛称)、さぁ顔を上げろ。お前がいたから俺たちは優勝争いができるんだ。今日は俺たちが助けてやる』と。自然と涙が止まらなくなりました……」