第3部 瀬戸内寂聴、玄侑宗久、故・小野ヤスシの妻ほか
もう怖くないさあ、「死後の世界」へ

週刊現代 プロフィール

 たとえば子供がいる人は、成長を見届けたかったとか心配が尽きないでしょう。割りきろうと思ってもなかなかできない。私も子供がいるので、そういう気持ちになるのもわかります」

 そして、自分が一番、「聞く耳」を持つことのできる親族や先輩、恩師など、先に亡くなったなかでもっともふさわしい人が「お迎え」にやってくる。そのお迎えの説得に応じることができるようになると、死後の世界に行って次の「生活」が始まるという。

「死後の世界は夢のなかのようなもので、ものを食べたり、買い物をすることもできる。おカネもあります。

 でも、それは自分がそういうことを意識し、イメージするから現れるのです」

 現世への未練やしがらみなどを捨てられるようになると、無我の境地に至り、魂は浄化されていく。そして、また新たな経験を積みたいと志し、やがて新しい命として現世に生まれてくるのだという。

 芥川賞作家で、福島県三春町にある福聚寺で住職を務める玄侑宗久氏は、一般の我々には意外な、死後の世界に対する仏教のスタンスをこう語る。

「お釈迦さまは、死後の世界については『無記』という態度を取りました。つまり、ノーコメントです。論敵からは『あいつは何も知らないんだ』とそしられてもそれを貫いた。死んだことがないから分からない。分からないことは語らない、というわけです」

 だが、分からないままでは不安なのでさまざまな死後世界が想定されたという。

「ずっといいことをやっていた人が、無残な死に方をしたりと、この世の出来事は間尺に合わない。でも、来世ではすごくいい思いをしてくれると思えば、辻褄が合うじゃないですか。あの世のあり方は、人々の希望の結果だと思うんです。

 そのひとつの証拠が、浄土教です。早い時期に日本に広まった天台の教えでは、来世のなかには極楽も地獄もあった。でものちに派生した浄土宗では、地獄の話はあまりしないんです。往生すると『むこう』の極楽浄土に往くという考え方が日本人には根強い。

 だいたい、日本人は仏教が入ってくるまで『死ぬ』という言葉を使っていません。万葉集とか古事記では『避る』です。どこかむこうに行くだけなので、それなら極楽浄土だとなる。あの世の形も、人々の思いで変容するんですね」

 西洋医学に気功や鍼、民間療法などを織り交ぜた「ホリスティック医療」を展開する帯津三敬病院名誉院長の帯津良一医師は、禅の言葉で死後の世界を表現する。