第27回 遠山元一(その三)
新聞に躍る言葉「株式ブーム」---一般市民が投資熱に見舞われた時代とは

「株式ブーム」という言葉が、新聞紙面に躍り、いままで株式と縁がなかった、市井の人々が、投資熱に見舞われたのだった。

 ここで元一は、一つの発意を抱いた。

 アメリカでは、一般の市民が、日常的に株式投資を行っている。すでにアメリカの証券会社は、大衆による投資に基盤を置かなければ、経営が成りたたないありさまだ。

 そうして、日本もいずれ、アメリカと同じく、国民大衆に基盤を置かなければ、証券会社は存続できないだろう。

 遠山元一は、同業者と語らって、戦後初めての米国証券市場視察団を結成した。山一證券の小池厚之助、野村證券の平山亮太郎、丸万証券の武田正三といったお歴々がアメリカに渡った。

「身勝手な気ままの蟲は死ぬまで治らない」

 遠山元一は、自らについてこう語っている。

若いときから随分やさしかつたと、自分では思つている。それに、『近頃はおだやかになりましたねえ』と人がいうのである。そのへんのことがどうもよくわからない。自分で考えることと、人の見る眼とでは喰い違いがあるらしいのである。どちらかというと世間の見る眼の方が正しいとしなければなるまい。そこで私は、かなりの気まま者であつたとも思われる」(『兜町から』「私は気まま者」)

 セルフイメージと、世間の見方のずれをきにしながら、さして悩む様子もなく、「私は気ままだ」という事にして、すました顔をしている。この、あくまで真面目なのに、どこか惚けた味わいが、元一の真骨頂だろう。

煙草は若いときから全然やらなかつた。酒もほとんど嗜まない。別に克己抑制してきたわけではない。幸か不幸か、そういうものの味も分らず、必要を感じなくて今日まで過して来た。考えて見れば殺風景に無趣味な男ということになる。仕事一図、商売一図にわき眼もふらずやつて来たのは、主として境遇上のせいであつたかも知れぬ。習い性となつて、それはそれなりに大した不自由も感ぜず、さしてヒガミもせずに今日まで押し通して来たわけである。/自分がそうだからといつて、誰にも同じ型を求めようとは思わない。人なみの苦労をして来たから、世間的には『思いやり』も『察し』も十分にきくつもりでいる。ただ『近頃はおだやかになりましたねえ』と云はれることによつて、これまでは随分はげしく我武者羅なこともあつたかと、それとなく反省させられるのであるが、心の底では今もなお『若い頃はやさしかつた』と思い込んでいるのだから、身勝手な気ままの蟲は死ぬまで治らないかも知れない」(同前)