第1章(3)はこちらをご覧ください。
買収されたディメンションも、買収したNTTも、次世代ITシステムの本命と言われるクラウド・コンピューティングにこれから乗りだそうという企業ポジションで一致しています。
既に述べたように、米国のシステム・インテグレーター業界は、クラウド・コンピューティングで新たな顧客と需要を掘り起こそうとしています。同分野ではIBMとヒューレット・パッカード、アマゾン・ウェブ・サービシーズなどが先頭を走っており、米国の大手通信事業者であるAT&Tもベライゾン・グループも、その後を追っているのが現状です。NTTも既存のマネージド・ホスティングでは実績があっても、クラウドとなれば別です。
同様に、ディメンションもクラウドに乗り出さなければなりません。そのためには自社でデータ・センターを所有するなど、大がかりな設備投資が必要です。もし、NTTグループが、そうした設備や資金を提供してくれれば、同社にとって参入リスクは大幅に下がります。
とはいえ、ディメンション程度の大型買収となれば、欧米企業同士でもなかなか話はまとまらないものです。NTTは、世界の総合通信事業者ランキングで、AT&Tに次ぐ二位の売上高(2011年)を誇っています。通信業界で名は通っているのですが、欧米のシステム・インテグレーター業界ではそれほどの知名度はありません。
そこから考えれば、ディメンションの役員会は「NTTとは、どのような会社なのか」「なぜ、ディメンションを買うのか」「社風は問題ないか」など、ありとあらゆることに疑問がわいたことでしょう。買収交渉の過程では、ディメンションの幹部を招待し、NTTの研究所などを紹介したようですし、NTT幹部もディメンションに足繁く通って、コミュニケーション・ギャップを埋める努力をしたようです。
それにしても、米国で25年以上生活している私にとって、そうした欧米人の役員会を説得することは、想像しただけで背筋がぞっとします。
一般に欧米での企業買収や合併は株式交換方式です。手元に現金がなくても株価さえ高ければ、よい買収額を提示できます。しかし、NTT持株会社は特殊法人ということで、海外投資家の持株比率に厳しい制限があります。ですから、欧米企業のように株高を背景に高額買収することができません。
つまり、キャッシュを積むということは、債務を直接増やすことになるわけですから、そう易々と高額のオファーを出すわけにはゆかないのです。私がディメンション買収のニュースを読んだときに、まず注目したのは現金にしては非常に大きな買い物だという印象です。
もちろん、交渉の詳しい内容は分かりません。しかし、ちょっと考えただけでも、大変な買収だったろうことは想像がつきます。関係者の話では、2009年春には買収条件で折り合わず、発表直前に破談になったそうです。交渉をおこなっていた鵜浦氏は部下にターミネーションレター(交渉終了書簡)をメールするようにいいつけました。英文で書かれた同書簡には、交渉終了を伝えるだけでなく、暗に交渉再開の機会も残すような文面になっており「うまく英語に訳されていたよ」と、当時の様子を同氏は回想しています。
鵜浦氏はジェレミー・オルド会長に一目置いていたそうです。一方、ディメンションを国際的なシステム・インテグレーターに成長させたオルド会長も、鵜浦氏とは馬が合っていたようです。関係者の話によれば、両トップが中心になり、再び買収交渉のテーブルにつきました。これは異例なことと思います。なぜ、オルド会長はふたたび、NTTと交渉の場についたのでしょうか。
既に触れたように、クラウド時代に入って、通信業界もコンピュータ業界も大きな変革期に入っています。ディメンション社は、この環境の変化を乗り越えなければ生き残れません。その意味では、時代に取り残される前に「どこかと合併する、あるいは買収されること」が経営におけるひとつの重要な選択肢だったでしょう。
一方、同社はデータセンターや通信ネットワークといった設備を持たず、企業の現場でシステムを管理するビジネスが主体です。つまり、ディメンション社の資産は、その従業員にあります。ここに同社の難しさがあります。
米国で毎日取材している私にとって、企業買収や合併は日常茶飯事です。多くの場合、買収された側のトップは1年から2年程度で辞めるものです。合意してしまえば経営実権は買った方に移り、買われた側はリストラを含めた激しい社内変化に見舞われます。その過程で、多くの幹部や優秀なスタッフが辞めるものです。買収する側にとっても、旧経営陣や不満を持つ社員に居座って欲しくないというのが本音でしょう。
欧米企業にとって、M&Aは徹頭徹尾、冷徹な経営手段です。買収された会社が、数年後には勢いを失ったり、市場から消え去るのは、こうしたことが原因のひとつです。それでも、欧米企業は大量の顧客やコアとなる技術を手に入れるためにM&Aを繰り返します。ベンチャーであれば買われる側も、一攫千金の夢が実現するため喜んで買収されます。
しかし、ディメンション社はベンチャーとは違います。また、資産は従業員しかいません。同業他社にとって同社を買収する目的は、大量の顧客獲得です。ですから、買収後は、厳しいリストラをするでしょう。それではディメンション社が死んでしまいます。一方、国際化を目指すNTTにとって、海外の顧客拡大は重要です。データセンターや通信回線を持っていても、地道に営業をするだけでは飛躍ができません。クラウド・ビジネスで先行する企業をキャッチアップもできません。
しかし、日本企業は欧米企業のような冷徹なリストラは好みません。関係者の話によれば、NTTは交渉過程で、オルド会長ほか経営トップがそのまま居てくれることを熱心に伝えたと言います。たぶん、オルド会長は手塩に掛けて育てたディメンション社とその従業員の将来を考えて、NTTと再び交渉し、買収に同意したのでしょう。
私が知る限り、こうした異例の決断はサン・マイクロシステムズの買収しか知りません。サーバー・ビジネスが不振に陥ったサンは、2009年にIBMとオラクルの両社から買収の申し出を受けます。当時のスコット・マクネーリー会長は、同社の先進性を維持するならIBMに買われることが良いが「サーバー事業部を持たないオラクルの方が、従業員に対するリストラが少ないだろう」と考えて、オラクルを選んでいます。こうした従業員を主体にした経営判断は、欧米のM&Aでは希有な例でしかありません。
このディメンション買収の話を聞かされたとき、私は「まさにアジア企業が欧米企業を買うというのは、常識では割り切れない駆け引きがあるものだ」と思い知らされました。
こうしてディメンションを得たNTTグループは、通信サービスと情報処理サービスが渾然一体となった新世界に向かって、足早に動き始めたのです。
〈第一章おわり〉