まこと、びっくりですな。気づいてみれば大迷走。当初の目標であった物価値下げも、そのための布石に据えた家賃値下げも、狂いに狂った目算を補正する途上でポイポイ捨て去られて、最初は付け足しでしかなかった助け合いファンド設立がプロジェクトの目玉となり、そいつがはからずも大当たりとなった次第でございます。
失敗したから成功したとも申せましょうか。予定外の方向にあれよあれよと転がっていって、でも世のため人のためという志さえ揺るがなければ、いつか必ず花が咲く。そこがこの仕事の醍醐味、たまりませんな。
このプロジェクト、勘定方と町方の御奉行様が四名、関わった官吏たちは一〇〇名を超えましょうか。チーム一丸となって邁進した、まさに寛政の御代を代表する大プロジェクトでございました。
そうそう、ここだけの話、リーダーの定信公は、いまだ成長途上でございます。この一年前の棄捐令(きえんれい)プロジェクトのときには、札差(ふださし)たちの抵抗を御しかねて、「このままでは武家に金を貸してくれる札差がひとりもいなくなってしまうぞ、どうしよう」と奉行衆におろおろ泣きついたり、意外とヤワな一面もお持ちで、そんな若いリーダーをみなで守り立てるのも、また心愉しいものでございます。
職業は公務員、世の中の不具合を調整する役回り。年に三度の固定給、定期昇給なし残業手当なし、でも最高にクリエイティブ! この仕事に私どもが託した熱い志は子々孫々、一〇〇年経っても二〇〇年経っても、脈々とこの国に受け継がれておりましょうな、きっと。
(やまむろ・きょうこ 東京工業大学大学院教授)