韓国企業の躍進が目覚ましい。携帯電話の世界シェア一位はサムスンである。日本でもサムスンやLGのスマートフォンがよく売れているし、家電量販店でもLGの3Dテレビなどが目立つようになった。韓国製品は日本で売れないという定説が最近まであったのが嘘のようだ。
韓国の競争力は低コスト程度といった思い込みもあった我が国では、この躍進を理解する準備が不十分だった。このため、サムスンの成功の秘訣として、経営戦略の妙(オーナー経営者主導の意思決定の速さや戦略性)などを解説するいわゆる「サムスン本」が突如世にあふれる事態となった。
「サムスン本」それぞれには英知が詰まっているが、何か物足りなさも覚える。一九八〇年代の日本経済好調期に、米国は「日本に学べ」と日本の隅々まで分析した。日本型経営の源泉として儒教に着目した「儒教資本主義」論も盛んであったし、カンバン、カイゼンなどに関する分析は数知れない。『エクセレント・カンパニー』『Made in America―アメリカ再生のための米日欧産業比較』などの当時の米国の経営バイブルでも日本は大いに分析された。
そんな中でも、元祖「日本に学べ」本と言えば、ハーバード大学の社会学者ヴォーゲル教授による『ジャパンアズナンバーワン―アメリカへの教訓』(一九七九年)であろう。改めて読み返すと、日本の成功要因が、経営、政治・政府の仕組みのみならず、知識追求、学習意欲といった点まで非常に多角的に分析されており、驚かされる。「日本の成功を解明する要因を一つだけ挙げるとするならば、それは集団としての知識の吸収ということになる」といった風で、日本人材論として今読んでも興味深い。
米国が、東洋の国から真剣に学ぶことはそれまであまりなかったはずだが、それでも日本を軽視せずに徹底分析し、学べるものは学ぶという姿勢に米国の底力を感じてしまう。
「東洋人から実際的な面で学ぶことがあることを素直に認めがたいということがあったのである。しかしながら、日本の幾多の成功をまともに正視し、それらの提起する問題をつぶさに検討してみることは、今のアメリカにとって、国の将来にかかわる急務である」というヴォーゲル教授の言葉は三四年後の我々に重く響く。
米国のみではない。マレーシアのマハティール首相が「ルック・イースト」を掲げ、米欧ではなく、東の国・日本の労働倫理や経営手法を学ぼうとしたのも一九八〇年代だ。その時代に比べると、現在の日本における韓国分析には不足も多い。韓国躍進の秘訣を低コスト構造や個別企業の経営戦略に求めることに止まらず、国際競争力の源泉、例えば高度な技術を支えるグローバル人材の存在に注目する必要がある。