「ピッチャーの振る舞いはチームメイトも見ているんだぞ」
と。その頃から藤浪は、「勝てるピッチャー」という言葉をよく使うようになりました。
では彼は何をしたか。
すべての瞬間で、「勝負」に勝とうとしたんです。
たとえば毎日の練習でも、みんなが腹筋を30回しているときに、藤浪は35回する。投手陣にはランニングのメニューがたくさんあるのですが、フリーバッティングで投げた後、次の練習までの間、一人で走ったりする。
彼は小さな勝負と勝利を積み重ねることで、強くなろうと考えたんでしょう。
「自分で考えられる能力」が、本人を救う大きな力になったんです。毎日の練習から粘り強く、勝負にこだわる—その頃の藤浪のノートには、そうした言葉がよく書かれていました。
成長したいと思った時に、「こうすればいい」という確かな答えってないんです。そのなかで藤浪は、「やったらいいんじゃないかと思うことは、全てやる」ことを自らに課した。そして以降1年間、最後までやり抜いた。
しかも、こうした藤浪の考える力や芯の強さは、彼だけでなくチームにも良い影響をもたらします。
もともと藤浪はおっとりした性格で、決してチームを率先して引っ張っていくようなタイプじゃないんです。でも一人で黙々と走るエースの姿をみれば、「自分もやらなきゃ」と、下級生たちも思うようになるんですよね。
藤浪を中心に春夏連覇を達成するまで、大阪桐蔭と言えば、「豪快野球」が印象深いチームだった。それは、強豪ひしめく大阪で勝ち抜くために、西谷監督が一貫して、「とことん野球が好き」な選手を集めてきたことと無関係ではない。
うまくなるためにも野球を続けるためにも、「好き」は一番の原動力になるからだ。苦手の克服より個性を伸ばすことに重きを置いた指導法は、毎年アクの強いチームを作り上げてきた。
では監督が「あらゆる面で手がかからない」と評する藤浪は、さらに何が違っていたのか。西谷監督が披露する先輩たちのエピソードには、多くのヒントが隠されている。
ヤンチャの代表は中田翔
以前はよく、「桐蔭はヤンチャ選手の集まりだ」と言われてきました。