岩崎元郎 第2回 「数度の雪崩の危機をかいくぐった岩崎先生はやっぱり幸運の人です」

島地 勝彦 プロフィール

岩崎 冬山ではすぐ零下20度から30度になります。そういうときは雪洞といって雪の穴を掘って休むことも必要なんです。面白いことに雪洞のなかは0度くらいに保たれて案外しのぎ安いのです。

 雪崩にも人因雪崩と自然雪崩があるんです。いつでしたか谷川岳のいちばんやさしい天神尾根を登っていたとき、腿くらいの雪のなかをラッセルしていたんです。視界が悪い雪のなかを登るときは最大斜面をまっすぐ登って行くのが基本なんですが、そのとき先頭を歩いていたサブリーダーがたまたま横に進んでしまったんです。そのほうが楽だと思ったのでしょう。

 そうしたら人因雪崩が起きまして、われわれのパーティー23人が全員10メートルくらい流されました。そこは運良く比較的平らなところでしたので、みんなで転がって止まり、笑って起き上がりましたけど、急斜面の自然雪崩だったら命はなかったでしょうね。

シマジ 人因雪崩っていうのがあるんですか。

岩崎 はい。よく山スキーでも起こります。

シマジ そのとき先生はいくつだったんですか?

岩崎 もう無名山塾をはじめていましたから35,6歳でしたか。でも理科大に入学したての19歳のころ、山岳部のパーティーが雪崩に遭遇して全員死亡したんです。たまたまわたしはそのパーティーに参加していなかったんです。彼らは南アルプス集中登山をやっていた最中でした。

 山小屋に彼らの荷物が残されていたので、どこかで雪崩にあったんだろうということになった。5月に入って彼らの遺体捜索活動に参加しましたが、1000メートルは流されたようです。そんなこともあって理科大は中退してしまったんです。

 それから昭和山岳会という社会人登山グループに入りました。たまたま受けた本田技研に受かりましたので、土日を使って山を登っていたんです。そのころ土日が休みの会社は本田技研とソニーだけでしたね。

シマジ 本田技研に就職するのはかなり難しかったでしょう?