[虎四ミーティング]
駒田徳広(プロ野球解説者)<前編>「“無死満塁で敬遠”伝説の真相」

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史上初の初打席満塁弾

二宮: 志願して野手になったわけですから、バッティングには相当の自信があったと?
駒田: それなりに自信はあったんですけど、実際は全然ダメでしたね。真っ直ぐにはスピードについていけずに振り遅れるし、変化球にもついていけませんでした。

二宮: 二軍のピッチャーに対しても?
駒田: はい。1年目、二軍のオープン戦ではセンター前とか、そこそこ打っていたんです。ところが、公式戦が始まったとたんに、全く打てなくなりました。当時、二軍は70試合あって、1年目から61試合に出場しましたから、準レギュラーとして使ってもらってはいたんです。「当たれば大きい」という期待があったんだと思います。でも、打率は1割9分と散々でした。そしたら、2年目に吉村禎章が入ってきたんです。まざまざとレベルの差を突きつけられましたね。2年目の僕も3年目の岡崎さんも、二軍の試合で2割3分くらいの打率だというのに、吉村は5月が終わった時点で打率3割台後半をマークしていましたから。もう、嫌になるくらいレベルの差がありました。「こういうヤツが、プロで成功するんだろうな」と思いましたね。

二宮: それでもプロ3年目には駒田さんも一軍デビューを果たしています。
駒田: 2年目の途中までは全く進歩が感じられず、「このままだと、あと1、2年でクビだな」と思っていたのですが、2年目の終盤になって、ようやく少しつかんだ感覚が出てきたんですね。そしたら、その年の秋、初めて一軍の秋季キャンプに連れて行ってもらったんです。といっても、期待されてというわけではなく、中畑清さんや山本功児さんがケガをしていて、キャンプ中に行なわれる阪神との練習試合に出られる一塁手がいないから、という理由だったんです。

二宮: 理由はどうであれ、チャンスが巡ってきたわけですね。
駒田: はい。そしたら翌春にはグアムキャンプに帯同させてもらいました。とは言っても、自分は最後尾にいると思っていましたから、最終的には一軍には選ばれないだろうなとは思っていたんです。ところが、運よくオープン戦で結果を出すことができました。当時は毎年、春分の日に阪神とオープン戦を行なう慣習があって、その年の先発は巨人が江川卓さん、阪神は小林繁さん(故人)だったんです。その試合に僕はスタメンに起用されたのですが、もう、引退してもいいと思いましたよ。江川、小林の投げ合う試合に、自分が出場しているんですから……。しかも1打席目、小林さんから二塁打を打ったんです。そんなこともあって、初めて一軍入りを果たしました。まぁ、ポジションを奪い取ったというよりは、「残っちゃった」という感じだったんですけどね(笑)。

二宮: そして、史上初の初打席満塁ホームラン。この快挙で一躍、時の人となるわけです。
駒田: 僕は運がいいんですね。その年、一軍に上がれたと思ったら、開幕2試合目に中畑さんがケガをしてしまったんです。それで3試合目にスタメンに抜擢されました。相手は大洋(現・横浜DeNA)の右田雅彦投手。彼は僕の1つ下でプロ2年目のピッチャーでした。実は僕、その前の年、ファームで7本ホームランを打っているのですが、そのうち3本が右田投手からだったんです。その右田投手が、一軍で初めて対戦したピッチャーだったというのも運が良かったんでしょうね。初打席初ホームランの後、2週間後くらいに横浜スタジアムで再び右田投手からホームランを打ちました。プロ入り1、2号は右田投手からなんですよ。