精神科医が説く「子育ての『常識』のウソ」

『反教育論──猿の思考から超猿の思考へ』著者・泉谷閑示インタビュー

──親からすると、それも子供のため、ということなんでしょうね。

泉谷 その考え方がまさに曲者です。それが本当の意味で「子供のため」を考えていると言えるのかどうかは、たいへん疑問です。たんに世の中の風潮に流されて「いい学校に入れたほうが得」「良い学習環境を整えたほうがいい」と思っているだけなのではないか。本当に掘り下げて、「子供とはどんなものなのか」を考えての選択だとは言えないでしょう。

──たしかにその根拠は「みんながそうだから」というくらいでしかないですね。

泉谷 現象としては30代以下の世代にいろいろな問題が表れてきてはいるけれど、本当はもっと上の世代の頃からいい加減にしてきた問題が、最近になって顕在化したに過ぎないのではないか。つまり、これは社会全体がないがしろにしてきた問題ではないかと思うんです。

 少なくとも戦後から1990年代に入る前までは、経済が右肩上がりだったから、どうやってもうまくいった。だから物質的豊かさに気をとられて「何が本当の幸せなのか?」「健全な人間の成長とはどういうことなのか?」といったことを掘り下げて考えてこなかった。考えなくても、なんとなくみんなハッピーにやってきたので、そこでは誰も立ち止まらず、何もフィードバックされなかった。

──今回の本では「意味」についても書かれていますね。

泉谷 ええ。「意味」について考えることは非常に重要だと思います。現代はあまりにも「意味」について無自覚でありすぎます。 

 ですから、「悪」とか「闇」とか「失敗」とか、「思い悩む」とかいった一見マイナスに見えることには、人間としての大きな意味があるということをすっかり忘れてしまって、なんかうまく効率的にやった者が勝ちなんだという、薄っぺらな価値観に支配されてしまったんだと思います。

──「悪」とか「失敗」といったものは、意図して用意するものではないですよね。子供を自由な環境というか、ある程度放っておくことでしか出合わないものでしょう。だから大人にとって不安なんでしょうね。

泉谷 そうですね。だから根本的には、本当に子供を信じていなければできないことです。子供を信じているからこそ、子供にまかせて放っておくということができるわけですから。

 しかし、いまの過保護の風潮を見ていると、とても大人が子供を信じているとは思えない。その根っこには、人間に対する不信感がある。

 厳しい言い方をすると、そんな大人は自分自身すら信じていないのではないか。じつは人間にはすごい底力があるのに、そんな確信を持っていない。

 だから子供の教育といっても、いかにしてこのロボットの性能をアップさせるかといった発想しか出て来ないので、よりよいプログラムを与えることばかりに躍起になってしまう。

 本書では、人間の内にある野性的な知恵を表現するために「オオカミ」という象徴を用い、これについて1章を割きました。オオカミという野生動物は「サル」的な小賢しい知恵はないけれど、その代わり「よりよく生きるための野性的な知恵」を持っているすばらしい存在です。人間も、「オオカミ」と同じように、たくましい野性の知恵を生まれながらに持っているはずなんです。

 でも人間は、もう一方で「サル」的な知恵、つまり「頭」でいろいろと「どうやったら得をするか」「どうやって対象をコントロールするか」といったことを戦略的に考える性質も備えている。科学の発展などに代表されるように、その「サル」的な知恵が近代以降の社会の発展につながったのはたしかです。しかし、現代はあまりにも「サル」的な知恵に偏りすぎているために、いろんなところに弊害が出てきていると思います。