長谷川幸洋著 『政府はこうして国民を騙す』
~メディアは政府や権力から独立しているべきだ~

1月18日発売の最新刊より巻頭を抜粋

 だから、私のコラムは初めから中立性とか客観性といった日本の新聞が大好きな物差しが当てはまらない。これは文字通り「私のコラム」である。それくらい私の立ち位置、判断の座標軸を強く意識して、ようやく「メディアの自立」につながっていくのではないか、という考えがあった。はっきり言えば「間違っても、霞が関の物差しなんかに縛られないぞ」という気分である。

 その結果、ときには独善に陥ったり、見当違いになった場合もあるだろう。言うまでもなく私と読者は価値観や知識、経験も違うのだから、それは当然でもある。そういうご批判があれば、ありがたく甘受する。批判を受けるのは、もとより覚悟の上だ。

 それでも偏見と言われるくらい、思い切って書かなければ、いつまでたっても、メディアは自分の足で立てない。言い換えれば「官僚のポチ」であり続けてしまう。そういう危機感があった。

無色透明な情報など存在しない

 一方、相変わらず「新聞をはじめメディアは中立で客観的であるべきだ」という議論もある。読者は白紙の状態で新聞を読むのだから、新聞自身に色がついていたら困る。新聞は無色透明な情報を提供するのが役目で「色を考えるのは読者に任せるべきだ」という話でもある。

 はたしてそうか。私は色がついていない「無色透明な情報」というのは存在しないと思っている。情報には、みんな色がついている。それは同じ顔をした人間がいないようなものだ。情報を発信する側には必ず意図や思惑がある。官僚には自分たちの既得権益を拡大したいという思惑があり、政治家には権力を握りたいという意図がある。

『政府はこうして国民を騙す』
著者:長谷川幸洋
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 そういう情報を扱う職業人としてのジャーナリストは、自分なりの座標軸をしっかり定めたうえで、何をどう伝えるか、絶えず新しい方法を探っていくべきだと思う。自分の座標軸は仕事の前提である。それがないジャーナリストは単なる情報伝達係のようなものだ。

 ジャーナリストには、フリーランス記者と新聞のような組織に属する記者の2通りがある。私の場合は少し変わっていて、新聞社の論説副主幹として社説を書く一方、雑誌やネットにも書き、ツィッターで発信し、テレビやラジオにも出演する。私の所属する新聞社は幸いなことに、私に完全な言論活動の自由を保証してくれている。

 念のために言えば、私が署名入りで書いた記事やテレビ、ラジオでの発言はすべて私個人の意見だ。東京新聞・中日新聞の主張ではない。私は東京新聞を代表して発言しているわけでもない。