長谷川幸洋著 『政府はこうして国民を騙す』
~メディアは政府や権力から独立しているべきだ~

1月18日発売の最新刊より巻頭を抜粋

 さまざまな話題を追いながら、ずっと心の片隅で考えていたのは「メディアの自立」というテーマである。

私の座標軸

 東電処理や原発問題について、どこから出発し何を目標にして考えるか。あるいは小沢と検察について、国民にとって本当に問われている問題は何か。それらを考えるのに、ジャーナリストである自分の立ち位置をしっかり定める。それが一番肝心だった。

 言うまでもなく、ジャーナリストは官僚でも政治家でもない。社会や政治、経済の出来事をプロとして観察、分析して報道かつ論評する職業人である。そんなジャーナリストが社会に対して情報や論評を発信するとき、いったい社会にとってどんな有益性があるのだろうか。

 官僚がつくった政策をそのまま紹介するだけなら、読者は役所のホームページを見ればいい。「それを読むのは面倒だから新聞がある」というなら、新聞は単なる役所情報の要約係にすぎない。そういう時代はもう終わった。インターネットがなかった時代には、要約係でも新聞の有用性があったが、いまやだれでも役所のホームページをチェックできる。

 政治の話も同様だ。政治家の発言を紹介したり、国会の動きを伝えるだけなら、政治家や国会のホームページなどを見ればいい。いまでは国会審議の様子を伝える個人のブログもたくさんある。

 新聞には一覧性があるという意見もある。だが、いまやヤフーのニュースサイトにも一覧性がある。一覧性は新聞だけの利点ではない。

 社会に有益性のない仕事はやがて淘汰される。必要がないものにカネを払って購読する消費者や広告料を払うスポンサーはいない。これはメディアやジャーナリストだって同じである。だからインターネットで情報が氾濫する中で、ジャーナリストは何をすべきなのか---。それが私の根本の問題意識だった。

 そう考えると「メディアの自立」という命題はごく自然に出てくる。メディアが官僚や政治家、政党から自立していないなら、そんなメディアが発信する情報や分析にたいした意味はない。なぜなら官僚や政治家、政党自身が直接、発信する情報を読んだほうが、よほど正確でかつ内容も深いからだ。

 メディアの情報や分析に意味があるとすれば、官僚や政治家、政党の情報をメディア自身がしっかり評価、分析して、独自の立場から報道し、論じるからではないのか。

 私はそう考えた。