週現スペシャル プロ野球・Jリーグ・プロレス
日本人が愛した助っ人・出稼ぎガイジン選手
「あの人はいま」

週刊現代 プロフィール

 日本愛を隠そうともしないのは'86年から2年間、阪急ブレーブスで抑えを任されたアニマル(54歳)。ピッチングより、投げた後のパフォーマンスのほうがワイルドだった髭ヅラの男は、本誌インタビューに日本語で応じるのだった。

「楽しかったなぁ、日本での生活は。9年間いたのよ。食べ物は旨いし、ハートのある人ばかり。松永(浩美)、佐藤義則、今井(雄太郎)、山田久志。素晴らしい仲間だった。会いたいねぇ!」

 2シーズンで引退すると、その後はタレントに転向。テレビのバラエティ番組に活躍の場を移した。

 およそ13年連れ添った日本人の妻と5年前に離婚。今は15歳の息子とロサンゼルス近郊に住んでいる。

「大学生からリトルリーガーまで、野球を教えるのが今の仕事。プライベートレッスンもやるよ。サンフランシスコ・ジャイアンツのジュニアでも教えてる。息子はいい投手だよ。私が鍛えたから当たり前ね(笑)」

 アニマルはこう結んだ。

「チャンスがあったら、また日本で働きたいね。息子も日本が好きだし、日本語ペラペラだしさ。コーチとか解説とか、仕事のオファーない?」

 山本リンダの「狙い打ち」を聞くと彼のヒッティングマーチを思い出す、という人は少なくないだろう。

 '86年、来日1年目から主軸を打ち、36本のアーチをかけた元中日のゲーリー(58歳)は引退後、一貫してスカウト畑を歩き続けている。

「メジャー各球団のGMやスカウトが一堂に会して、FAやトレードについて話し合うウインターミーティングというイベントに行った時のこと。背後から『キャン・ユー・スピーク・ジャパニーズ?』と話しかけられ、振り向いたらゲーリーが笑っていたんです。肩書はオリオールズのスカウト部長。ずいぶん出世したのに、ぜんぜん偉ぶるとこがない。私がかかわった助っ人たちの中で一番のナイスガイです」(ゲーリーの元通訳でドラゴンズ渉外担当の足木敏郎氏)

 初打席初アーチという衝撃デビューを飾ったのは、・アジアの大砲・呂明賜(元巨人・48歳)である。

 惚れ惚れするほどのフルスイングが持ち味。デビュー10試合で7ホーマーを放ったが、以後は弱点の内角を攻められ、沈黙。外国人枠の問題もあって、出場機会が激減し、27歳で帰国の途についた。

「呂は台湾プロ野球で活躍した後、北京五輪やWBC代表の打撃コーチを務め、現在は大学野球部の監督をしていると聞いています」(台湾プロ野球関係者)