核のない生物っていますよね。幸せな連中だ。

武村政春『新しいウイルス入門』
武村 政春 プロフィール

 この詞を書いた頃、BBは「細胞(zelle)」という言葉に興味を持っていて、英語と同じく「独房」という意味もあるこの言葉が意味するモノ(細胞)の中央に位置する細胞核に、独房の中心にいるところの「自己」(self)のイメージを重ねていたのだと、私の姉でもある『日蝕狩り』の著者武村知子は言う。

 自己とは何か?

 自分自身であると人は言う。免疫系が認識し得る、非自己ではないものを総じて「自己」と言うのだとも言う。夢を見ることができる主体こそが「自己」であるとも言う。

 ではなぜBBはそう言ったのだろうか? すなわち「核のない生物っていますよね。幸せな連中だ」と?

 細胞核がなければ自我とか自己の殻にとらわれたりしなくてすむんだろうな、いいな~というのが真意ではないかと、姉は言う。

 自己の殻とはいったい何だろう。細胞核とは、もしかすると「殻」で包まれた自己なのか。

 確かに、人間は自己の殻にがんじがらめにとらわれているとも言える。自らが何者であるのかもわからずに、ひたすら他人たちと共に犇(ひし)めきあうこの社会の一員であろうとしている一方において、「自分探し」などと称して、訳のわからない旅に出たりする。

 細胞もそうだ。すなわちその運命がひとえに、その中心にうずくまった「自己」、すなわち細胞核に依存しているという意味において。

 BBが詩的な比喩を展開したこの「自己」が、昨年末、にわかに脚光を浴びた。

 二〇一二年のノーベル生理学・医学賞を山中伸弥京都大学教授と共に受賞した英国のジョン・ガードン博士は、五〇年前、アフリカツメガエルの体細胞Aの細胞核を、生殖細胞(未受精卵)から細胞核を抜いたものに移植し、その細胞から体細胞A……だけではなく、体細胞Aを含むアフリカツメガエルの個体全体を作り出すことに成功した。

 分化したはずの体細胞Aの細胞核は、まだアフリカツメガエルの個体全体になるために必要な〝記憶〟を失ってはいなかったのだ。細胞核さえ移植すれば。