[サッカー]大仁邦彌 × 二宮清純<前編>「日本サッカーのトップが描く未来図」

~新春スペシャル対談~
スポーツコミュニケーションズ

現状に合った育成を!

二宮: 近年のサッカー協会の会長は、みなさん、それぞれの色があったように思います。長沼健さんが会長の時にプロ化したり、岡野俊一郎会長時代には日韓W杯を開催したり……。川淵三郎キャプテンはさまざまな改革を実行し、小倉純二前会長は国際派として知られています。大仁会長が考える「オレの色はこれだ」というストロングポイントは?
大仁 私は現場あがりですから、そっちのほうは他の分野よりわかっているつもりです。そこで、これからは育成の分野をもう1度整備したいと考えています。現在の育成システムの根幹を成しているのがトレセンです。ただ、現行制度ができたのは40年前。その時はJリーグもなかったわけです。ですから、現在のサッカー界の状況に合ったやり方にしたいなと。

二宮: 具体的には?
大仁 たとえばJクラブのある都道府県は、Jクラブがその県の優秀選手を集めてトレセンの活動を行う。逆に、Jクラブのない都道府県は、JFAや各都道府県協会が指導する。そういうかたちで子供たちの育成をJクラブと手分けして行えないかを技術委員会のほうで検討してもらっています。

二宮: Jクラブと協会の育成メソッドを両方生かすわけですね。
大仁 他にも、夏に開催している全日本少年サッカー大会(全少)を冬開催にしようと思っています。そして全少を冬開催にするかわりに年間を通したリーグ戦を行っていく。というのも、今までは夏の全少が終わると小学6年の子供たちは何の活動もしてこなかったからです。リーグ戦で多くの試合を経験し、集大成である冬の全少につなげていこうというわけです。

二宮: なるほど。一方、Jに目を向けますと、サテライトリーグがなくなり若手選手に出場機会を与える場が少なくなったことで、J全体の底上げが難しくなっているという意見もありますが?
大仁 U-23年代の育成が一番難しいところなんです。おっしゃるとおり、サテライトリーグがなくなりましたので、一番成長する時期に実戦経験を積めない。ですから、技術委員会とJが話し合い、U-23年代の選手は所属クラブより下のカテゴリーのクラブにフリー移籍できる制度を今年から導入する予定です。また、オリンピックを見据え、U-23年代の国際大会へ出場する機会を増やすことも検討しています。

大仁邦彌(だいに・くにや)プロフィール>
1944年10月12日、兵庫県生まれ。神戸高―慶応大を経て70年に三菱重工(現浦和)入り。ポジションはDF。日本サッカーリーグ(JSL)を2度、天皇杯は3回優勝。日本代表にも選出され、西ドイツW杯予選などを戦った。78年から三菱の選手兼コーチとなり、翌年に現役引退後はコーチ専任となる。84年に監督に昇格し、88年まで指揮を執った。その後、社業に専念していたが91年にJFA入りし、強化委員長、技術委員長などを歴任。また、フットサル委員長、同連盟会長も務め、07年のFリーグ創設に尽力。昨年6月、第13代日本JFA会長に就任した。任期は2014年3月まで。JSL通算119試合出場、1得点。国際Aマッチ通算44試合出場。

(写真・構成:鈴木友多)