チェーンの居酒屋を二度逃亡しました

―ある学生の苦渋のバイト体験

 大学教員になり、研究会を担当するようになって今年の九月で十四年目になる。いろんな学生さんがいるし、すぐに辞めてしまう子もいれば、ずるずる何年もいる子もいる。

居酒屋業界外食産業において「居酒屋・ビアホール等」に分類される業界の市場規模は約一兆一千億円

 私のいるキャンパスは、一年生の秋から研究会を履修できるので、なかには福田和也研究会に入学した、なんていう学生さんもいて、誠に親御さんには、申し訳ないかぎりである。

 毎学期のはじまり、研究会を志望する学生には、「このキャンパスには、もっともっといい研究会がたくさんあります。

 ITでも、金融工学でも、バイオでも、世の中の役にたって、ちゃんと稼げる技術、スキルが身につく研究会にいきましょう」と、説いているのだが。

 高い学費を払って、私のところに来て、コラムを書いたり、小説を書いたり、ゾルゲ事件や、二.二六事件の公判記録を読んだりするのは、親不孝というべきものだろう。重ねて、親御さんに合わせる顔がない。

 とはいえ、それでも熱心に取り組んでくれる学生さんは可愛いし―実は、さぼってばかりいる奴も可愛かったりするのだが―、教員としてはやはり嬉しい。

本社から派遣された
教育係の課長の凄まじさ

 私の研究会の特色の一つは(特色というほどでもないが)、わりとストレートに生きて来なかった学生さんが多いことだ。

 そういう学生さんは、だいたい順調に来た学生よりかなり薹(とう)が立っている事が多いのだけれど、それなりに寄り道しただけあって、襞(ひだ)というか、いろんな意味での惻隠(そくいん)があって、これはこれでよかったんじゃないか、というような気になる事もある。

 これもまあ、親御さんにとっては、とてつもなく大儀なことであったり、心配な事でもあるのは、間違いのないことなのだが。でも、寄り道のなかで、いろんな物を掴み、体験しているようにも思われるのだけれど。

 今年、卒業するF君も、かなり寄り道をしていて、いい年になっている。とはいえ、遅まきながら大学に入ってからは、留年もせず、自活しながら大学に通っている。今は警備関係の仕事が、ほぼ定職のようになっているらしいが、それまではいろんなところで働いてきたという。

「二度だけ逃亡したことがあるんですよ。いろんな職場を渡り歩いていますから、ちょっとは自信があったんですがね。でも、どうしようもなくて、まさしく『負け犬』のように逃げたことが二度あるんです」

 彼が、かなりきつい仕事をやってきた事は、彼の書く小説やコラムなどを読んでだいたい、識ってはいたのだけれど、その彼が逃げ出したとは、どんな職場だったのだろう。

「二つとも、居酒屋ですよ」

 いずれも、全国規模で、チェーン展開している居酒屋である。

「『A』の場合は、本社から派遣された教育係の課長っていうのが、凄まじかったんですよ。間違って、調理に腐った葱を使ったバイトがいて。もちろん、それはまずいんですけど、罰として、その腐った葱を一本、生のまま食べさせたんですよ、激昂しながら。泣きながら食べてましたけど、そのバイトは。
  しかもその後も、『とっとと歩け』って怒鳴りながら、その課長が、葱食べさせられたバイトを背中から思い切り蹴り倒したりして。とんでもないんですよ。僕らにたいしての檄(げき)っていうか、訓示も非道くて、『金が欲しいんだろ、だったら働け!』ですよ。時給九百円にもなんないのに、軍隊みたいな扱いされたらたまりませんから、即刻辞めました」

 もう一つの居酒屋「B」は、ある意味では、「A」よりも悪質だ。

「厨房に入って、簡単にですけど口頭でいろんな事を教えてくれたんですよ、入店してすぐ。調理の全体的な流れを教えてくれるのかな、それがわかってないと、段取りとか出来ないからな、なんて考えながら、話を聞いていたんですけどね。
  いきなり『もう覚えましたね』って云われて、『はい』って答えたら、『じゃあ、お願いします』って、それきりですよ」

 F君は、初日からいきなり調理を担当させられてしまったのである。

「だいたい、その店で、食事したことないんですよ。ちゃんとした、チャーハンなり、唐揚げがどんな具合なのか、わからないんですよ。しかも、ちょっと様子をみたり、味をみたりして、ダメ出ししてくれる人もいない。
  自分で、作っていて、というか作らされていて、これがはたして、完成品なのかどうか、もっと云うと、食べられるのかどうか、分からないで作っているんですから、辛いですよ。でも、みんな平気なんですよね」

 F君は、いたたまれなくなって、ひと月でその店を辞めたという。

「チェーンの居酒屋がたくさんあって、そのどれもが、こんなにデタラメということはないでしょうけど、居酒屋で働いているバイトの人々のいくらかは、同じような経験をしてるんじゃないですかね」

 そうした経験からF君は、チェーン居酒屋には、ほとんど行かないという。

「バイトが理不尽な働き方をさせられているのが厭というか、見たくないんでしょうね。あと、あまり大声では云えないけれど、何を食べさせられるか、わかったもんじゃないというような・・・」

 厚生労働省の統計によると、飲食店・宿泊業は、入職率、離職率が際立って高い。平成二十年の統計では、たとえば教育・学習支援業が、入職率一〇.八%、離職率一〇.九%。人の動きが激しいとされる医療・福祉系でも、入職率一八.三%、離職率一六.三%なのにたいして、飲食店・宿泊業は、入職率二八.八%、離職率二七.六%という高さである。

 もちろん、飲食店・宿泊業は、かなり様態が多様であるので、一概に括ってしまう事は出来ないのだが、チェーン居酒屋で気になるのは、雇用情報の開示度がどこも大変低いことである。

 東洋経済新報社の『転職四季報 2010年版』などを見ると、モンテローザや大庄といった、代表的企業の情報開示がきわめて限定されている。『白木屋』などを展開するモンテローザは、正社員採用予定がNA(ノーアンサー)なのにはじまって、平均勤続年数もNA、離職率、離職者数もNA、『庄や』の大庄も『天狗』のテンアライドも同じようなものである。

 「異色」なのは、『はなの舞』や『さかなや道場』を展開するチムニーで、正規採用予定から、総合一般別採用実績、希望年齢、離職率、勤続年数まですべて公開している。ただし、チムニーに組合はない。

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