[サッカー]
田崎健太「里内猛が描く日本の未来図Vol.3」

~ジーコ、オシム、関塚を支えたフィジコ~
スポーツコミュニケーションズ

ジーコは本物のサッカー選手

 この頃、里内はチームでフィジカルコーチを任されるようになっていた。当時は日本でフィジカルコーチという役割がまだ珍しかった時代である。デッドマール・クラマーの指導を受けた後、さらにサッカーを学びたいという欲求が強くなっていた。そこで古河電工のコーチだった岡田武史が呼びかけた勉強会に参加した。これは運動生理学、スポーツ医学など、科学的データを使ってサッカーを学ぶ集まりだった。勉強会には、西野朗、池田誠剛などが参加し、日産自動車(現横浜FM)からは下條佳明が参加していた。里内は下條に「日産自動車サッカー部の練習を見学させてほしい」と頼み込んだ。里内の目当てはマフェイというブラジル人フィジカルコーチだった。日産監督のオスカーがマフェイを呼び寄せていたのだ。

 オスカーはブラジル代表のセンターバックとして、ジーコと共にワールドカップ出場経験がある。87年から日産自動車でプレーし、89年に引退後は同チームの監督となっていた。
 普段のマフェイは穏やかな印象の男だったが、トレーニングは厳しかった。単にフィジカルを鍛え上げるだけでなく、戦術練習に生かす身体作りを考えていた。サッカー選手の身体は強くなければならないが、重くて動けなければ意味がない。彼のトレーニングメニューは負荷を細かく調節して、サッカーという競技の特性を考慮していた。また、選手のモチベーションを上げるのも巧みだった。「これがフィジカルコーチか」。里内はマフェイの言葉を細かくメモした。

 里内はマフェイの指導をもとに、自分なりのメニューを作り上げていた。ただ、世界的選手であるジーコに自分のメニューを与えるのは気が引けた。しかし、ジーコは何も言わず黙って里内のメニューをこなした。

 話を静岡での合同合宿に戻そう。ベンチから立ちあがったジーコは里内と一緒にウォーミングアップを始めた。
「後半から出るので監督に伝えてくれ」
 とジーコは言った。
――ジーコが出る。
 彼が準備している姿を見て観客席がざわつき始めた。ジーコは後半からピッチに入ると、いきなり直接フリーキックを決めた。里内は思わず「おー」と大声を出した。
「やっぱりこの人はすごいな」
 ジーコは本物のサッカー選手だった。里内は「それに引き比べて自分はどうだろう。まだまだ学ばなければならない」と彼を眩しい思いで見ていた。

(つづく)

<田崎健太(たざき けんた)プロフィール>
ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に勤務。2000年より退社して、文筆業に入る。『此処ではな い何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『W杯に群がる男達-巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)など著書多数。最新刊は、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社 2011年12 月2日発売)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。