二宮清純レポート
勝負の厳しさを誰よりも知る男 森脇浩司 オリックス監督「人生は微差が大差を生む」それに気づいたから、いまの自分がある

週刊現代 プロフィール

 脳腫瘍であることが発覚したのは、この1ヵ月後である。津田はすぐさま入院し、この年限りで広島を退団した。

「8月になると、どんどん病状が悪化して福岡の済生会病院に入院した。遠征先への移動日の朝、彼を見舞うと20kgくらい痩せていて、目だけがギョロッとしている。握手をしても、全く力が入らない状態でした」

 余命は年内いっぱいと医師から告げられた。ところが奇跡が起きる。津田は驚異的な回復をみせ、クリスマスイブの日に病院を出るのである。

 再び森脇の回想。

「病院の前に公園があり、よく2人で散歩しました。広島を解雇されたという記事を見て涙を流していました。〝まだ野球がやりたいか?〟と聞くと、〝どうしてもやりたい〟と。

 僕は彼に言いました。〝もし、もう一度オマエが野球をやれるようになったら会社(ダイエー)に頼んでやるよ〟と。〝その時はオレの給料の半分をオマエに回す。これなら会社も損はしないからイヤとは言わんだろう〟ってね。実際、そのことは会社にも相談しました。どのくらい本気だったかは別にして会社は〝いいですよ〟と言ってくれました。僕としては津田に励みを与えたかったんです。生きる励みをね・・・・・・」

 奇跡は長くは続かなかった。再び病状は悪化し、2年後の7月、永遠の眠りについた。

 その年の暮れ、森脇は華燭の典を挙げた。会場には津田の席も用意され、他の出席者と同じメニューが運ばれた。津田の席の隣に座ったのが当時、近鉄でプレーしていた金村義明だ。金村はルーキーの頃、森脇を兄のように慕っていた。

「(選手寮に)入寮した当時の僕はパンチパーマで誰も口を利いてくれなかった。唯一、普通に接してくれたのがモリ(森脇)さん。ピッチャーから内野手に転向した僕に守備の基本を教えてくれたのもモリさん。あれほど人間的に素晴らしい人はいないですよ」

 金村は森脇の紹介で津田と知り合った。披露宴の前には森脇から、こんな頼みを受けた。

「津田は食べるのが早いから、すぐに料理がなくなる。悪いけど、オマエが気を遣ってやってくれ」

 言われるがまま、金村は津田の料理も次々に運ばせた。

 広島時代のチームメイトで森脇や津田と同い年だった西田真二(現四国アイランドリーグPlus香川監督)は「モリには男気を感じる」と言い、こんなエピソードを披露した。