二宮清純レポート
勝負の厳しさを誰よりも知る男 森脇浩司 オリックス監督「人生は微差が大差を生む」それに気づいたから、いまの自分がある

週刊現代 プロフィール

「僕の支援者の中には〝球団は冷たい〟という人もいましたよ。しかし僕はショックを受けつつも冷静でした。いくらホープと言われた立場でも、これだけケガが続いて期待を裏切れば仕方ないなと・・・・・・」

 ただし、近鉄での5年間は後に指導者になる上での〝含み資産〟を森脇にもたらした。とりわけ闘将・西本幸雄の立ち居振る舞いから得たものは何物にも代え難かった。

「当時、(近鉄の本拠地の)藤井寺球場のライトスタンド下の室内練習場には2つだけバッティングの鳥かご(ケージ)がセッティングされていた。バッティングの下手クソは黙々とそこで打ち込んでいました。

 ふと向こう側を見ると柱の後ろに人影がある。誰だろうと思って目を凝らすと西本さんでした。

 当時の藤井寺の室内は土が深く、普通の靴だと汚れてしまうんです。ところが西本さんはスラックスに革靴姿のまま、駆け出しの選手の練習を最後まで見守ってくれていた。これには感動しました」

 森脇は、ある日、西本が腕組みをしたままポツリとつぶやいた一言を今でも覚えている。そして、これこそは森脇の指導者としての原点でもある。

「世の中には無名でも陰日向なく一生懸命働いている人間がいる。オレはそういう人間の努力は、いつか報われるということを野球で証明したいんだよ」

 トレード先の広島で森脇は生涯の友と巡り合う。〝炎のストッパー〟と呼ばれた津田恒実だ。'93年に32歳の若さながら悪性の脳腫瘍が原因で世を去った。

 津田の生涯を描いたドラマ『最後のストライク』(フジテレビ系)では俳優の石黒賢が森脇役を演じた。

「今度入った森脇だ。よろしくな!」

「あぁ・・・・・・」

 同い年ということもあって気軽に声をかけた森脇だが、あにはからんや津田は無愛想だった。

「だから最初は〝なんだよ、アイツ〟という感じでした。ナマイキというか、付き合いにくそうなヤツやなぁと・・・・・・。ところが、しばらくすると肌が合うというか、なぜか一緒に行動するようになっていたんです」

友人を絶対に見捨てない

 津田が森脇に体の異変を訴えたのは'91年の3月だ。森脇は'87年途中に南海('89年より福岡ダイエー)へトレードされていた。平和台球場でのオープン戦を終えた2人は久しぶりに食事をともにした。その席で津田は珍しく弱音を吐いた。
「最近、疲れが取れないんや・・・・・・」