二宮清純レポート
勝負の厳しさを誰よりも知る男 森脇浩司 オリックス監督「人生は微差が大差を生む」それに気づいたから、いまの自分がある

週刊現代 プロフィール

 森脇の指導の甲斐あって、この年のイースタンリーグにおける巨人二軍の盗塁数は前年の60から152へと2・5倍に増加した。巨人が目指していた〝脱大艦巨砲主義〟を森脇はファームで実践し、成功させたのである。

 '79年、兵庫・社高からドラフト2位で近鉄に入団した森脇に内野手としてのイロハを叩きこんだのは、当時の二軍コーチ、安井俊憲(当時・智規)である。安井は現役時代、俊足巧守を売り物にし、'68年にはパ・リーグの盗塁王に輝いている。

「キャッチャーに背中を見せるな!」

 安井は事あるごとに口を酸っぱくして、そう言った。その言葉には、どんな意図が隠されていたのか。

 安井は説明する。

「内野の守備はバッターが打ってから動き出すようでは遅い。キャッチャーのサインを見て、ピッチャーが投げるコースや球種を踏まえ、バッターが打つ前に動き出さなければならない。

 わずか一歩の違いがチームを救うかどうかの境目になる。そのためには常にバッテリーに意識を集中させておく必要があるんです」

 高校時代は県予選の〝3回戦ボーイ〟。全国的には無名の県立高からプロに身を投じた森脇にとっては見るもの聞くものすべてが新鮮だった。

 森脇は安井の教えを、次のように咀嚼した。

「野球は〝ながら〟のスポーツ。動きながら判断する。あるいは判断しながら動く。特に内野手は常にピッチャーとキャッチャーを視野に入れておかなければならない。

 一度でもボールから目を切ると、何かハプニングが起きた時に対応できなくなる。内野手はピッチャーにボールを返して守備位置に戻る時でも背中を見せてはいけないんです。もしランナーがいて、ピッチャーがボールを落としたら、どうするんですか」

努力は必ず報われるのか

 強肩巧守。守備を買われて頭角を現した。プロ4年目の'82年にはショートで開幕スタメンに名を連ねた。ネット裏からは「近鉄は向こう10年、ショートで苦労することはない」との声があがった。

 にもかかわらず、彼はプレーヤーとして大成することはなかった。肩の脱臼に太ももの肉離れと、度重なるケガに泣かされた。

 5年目のシーズンが終わると広島にトレードされた。球団は森脇の将来性に見切りをつけたのだ。