【第2回】はこちらをご覧ください。
安藤: 私は会社員時代からずっとツイッターをやっていたんです。ツイッターが大好きで、趣味というか、もう自分の人生みたいなものになっています。
会社を辞めて、仕事がなかったときに何をやっていたかというと、いろんな人のツイッターで、プロフィールを見たり、発信を見たり、それこそフラグのように、どんな「この指とまれ」で人を巻き込んでいるのかを見たりして、つぶさに研究していたんです、とにかく暇だったので(笑)。やがて、自分でも少しづつ発信して、フォロワーさんや仲間ができ、そこから仕事をいただくようなケースも増えていきました。
私の場合、「ノマド」「ブランディング」「ソーシャルメディア」「フリーランス」の4つのキーワードのタグを用意し、「新しいワークアンドライフスタイルの実践者」というイメージでさまざまなことを発信して、フォロワーさんたちと交流しています。
ところが、交流の範囲が広がると、思いもよらない変な反応が来たり、それまで心地良い関係にあったフォロワーさんとの関係がリムーブされてしまったりと、個人がメディア化していくことのジレンマに陥ることもよくあるんです。
先ほど、個人が価値を発信することの大切さをお話しいただきましたが、そこにソーシャルメディアというものが加わったとき、発信するという行為の意味はどう変わっていくと宮台さんはお考えですか。
宮台: まず僕は、美冬さんがおっしゃるジレンマについては、奇妙な反応をする個人や企業の未熟さを感じるだけで、ソーシャルメディアに必然的に伴うものだとは思いません。ブロックやリムーブが簡単な分、個人や企業の狭量さや神経質さを判断しやすくなっただけ。
東京新聞の特報部長に田原牧さんという方がいます。麻布高校の先輩で、トランスジェンダーの美しい方です。本来は中東の専門家で、危険な取材の経験が豊富な記者でもあるんですが、最近では原発報道で有名になった「こちら特報部」のデスクでもいらっしゃいます。
トランスジェンダーとして堂々と同僚や上司や取材対象者の前に現れる田原さんが、会社の責任ある立場で〈価値発信〉をしておられる。東京新聞は普通の会社ですが、田原さんの登用自体が〈価値発信〉になって、企業イメージを上げています。
かつてのメセナみたいに、日本の会社は景気が上向きのときには〈価値発信〉に熱心に見えて、景気が下向きになると縮む。メセナは死語になりましたね。そんなときだから、一部の会社が、かつてならあり得ない人材登用を通じて〈価値発信〉をしているのが注目に値します。
他方、社員のツイッターやフェイスブックを禁止するおかしな会社もあります。最近増えてきました。某放送局でも、原発問題について、独自の個人的所感を発信をしていたアナウンサーのツイッターのアカウントが閉鎖になった例がありました。
あれは局にとってまずい。「あの程度の発信を禁止するとは何と狭量か」という話になり、多くのSNSユーザーの局に対する評価が落ちました。「番組に携わりながら番組に違和感を持つ者がツイッターで発信する。そんな営みを許容するとは良い局だ」と思っていたのに。
ことほどさように、会社が生き残るために必要な戦略は以前と変わりました。右肩上がりの状況では、TQC(トータルクオリティコントロール)をやるとか、グループワークの効率を上げるとか、労使協調路線を進めるとか、消費者ニーズに敏感に応じるとかが重要でした。総じて、取引コストを含めたコストカットを通じた効率上昇でした。
それも大事ですが、グローバル化=資本移動自由化の下では、それだけだと新興国との競争で、労働分配率低下による需要低下と、共同体空洞化によるニーズの質的劣化を招き、全体が沈むことになります。
そこで生き残るのはどんな会社か。消費者に「ニーズを教える」ことを含めて〈価値発信〉で市場を切り開く会社。〈価値発信〉で市場を切り開くには、消費者に「Think Different=君たちは間違っている」と指摘するのが不可欠です。試行錯誤の摩擦はジレンマじゃありません。