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奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第10回】
バレンタインデーの恥ずかしい勘違い

奥村 隆 プロフィール

 「でも、先生が問題を出すと、お前は指されてもいないのに答えを言っちゃうんだろ? 『奥村君のせいでクラス中が勉強にならない』って、先生にも他のお母さんたちにも文句を言われたよ」

 「違う! 僕はもう、『指されてもいないのに答えを言う』なんてことはしていないよ。先生に怒られたからね。

 今は問題を出されたら、すぐに『ハイ!』と手を上げて、後は先生が指してくれるまでずっと『ハイ! ハイ! 』と大きな声を出しているだけ。答えは、先生に指されてから言っているよ。まあ、だいたい全部、僕が答えることになるけど」

 「・・・」

 母は絶句してしばらく考え込んでいたが、最後は苦笑いしながらこうアドバイスしてくれた。

 「お前は間違ったことをやっているわけじゃないよ。でも、全部お前が答えちゃうと、他の子たちが答えられなくなるでしょ。だから、先生が出す全部の問題に手を挙げるんじゃなくて、2回に1回くらいの割合で手を挙げるように、(頻度を)減らしてみたらどう?」

 お母さんがそう言うなら従おう、と僕は思った。母はいつだって、僕の「おかしな行動」の理解者だった。

 と言っても、母は僕を甘やかしていたわけではない。むしろ子供には厳しい方だったと思う。たとえば母は、僕が少しでも勉強やスポーツで手を抜けば、烈火のごとく怒った。

 ところが、僕の「発達障害を持つ者に特徴的な行動」に対しては、誉めはしないけれども、叱ることは決してなかった。いつも「先生もその程度のことで怒ることはないのにね」などと言った上で、具体的な対応策を指示してくれたのだ。今考えると、その指示は常に的確だった。

 なぜ、今から20年以上も前の、まだ発達障害やASDが一般的によく知られていなかった時代に、母は的確な指示を出し続けることができたのか。その理由を、僕は最近、思わぬ出来事をきっかけに知ったのだが、それについては後述することにしたい。