佐々木俊尚『日本のリベラルが「本当のリベラル」になる日はくるのか』

〔PHOTO〕gettyimages
 

「絶対善の庶民」対「絶対悪の権力」という構図

 私は今年春に上梓した『当事者の時代』(光文社新書)という本で、日本の言論空間の「マイノリティ憑依」という問題を指摘した。

 学生運動が1970年代初頭、在日やアイヌといったマイノリティ問題にあまりにも引きずられてしまった結果、圧倒的弱者としてのマイノリティや、実際には存在しない幻想の「庶民」のようなものに仮託し、社会を上から目線で批判するようになってしまったという病理である。

 この結果、日本のマスメディアはみずからの立ち位置でものを語るのではなく、かといって何らかの政治思想に基づいて理論化するのでもなく、ただひたすら「庶民の味方」「弱者のために」という勧善懲悪的で幼稚な対立軸でしか社会を非難しなくなってしまった。この構造は東日本大震災後のインターネット空間にも引き継がれて、日本の言論空間を著しくゆがめてしまっている。

 実のところ日本のリベラル勢力はこうしたマイノリティ憑依的な弱者の立ち位置によって社会を批判する人たちであり、その軸となっているのは「絶対の善である庶民」対「絶対の悪である権力」といった水戸黄門的な勧善懲悪論だ。これはそもそも、政治哲学的な意味での「リベラル」ではない。

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