総力取材・天才スポーツ選手が語る「栄光と挫折」

天才であり続けることは奇跡に近い
週刊現代 プロフィール

第2部 Jリーグ篇

Jリーグ全チームからオファーが届いた天才 礒貝洋光

 手渡された名刺の裏には「心身整理屋 スポーツコンサルティング」の文字が書かれている。羽織った『ラルフローレン』のベストのサイズはXXXL。現役時代から40kg増えたという身体から、超が付くほどのトップアスリートだったことを推し量るのは難しい。

「現役時代って何かに悩むことがあるでしょう。そんな困った選手の相談に乗ってあげているんです」

 人懐っこい笑みを浮かべて礒貝洋光(43歳)は話す。

 左右両足から繰り出される正確無比なキック。一撃で相手の急所を突くスルーパス。「ラモスの後継者」と呼ばれた日本サッカー界屈指のゲームメーカーは、しかしサッカーに対する「熱」を早くから失っていた。

 いま、彼は若い選手がかつての自分のような境遇に陥らないようにコンサルタント業に勤しんでいる。

 

「膝や足首のケガもあったけど、要は自分を追い込めなかった、純粋にサッカーと向き合えなかった。身体の中にカビが生えていて、サッカーに対するモチベーションや熱を蝕んでいたんだと思います」

 独特の言い回しで過去の自分を振り返る礒貝。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。名門・帝京高校でも1年時からエースナンバーを背負って活躍し、東海大学時代には、学生ながらキリンカップの日本代表に選ばれた。

 '92年、大学を中退してプロ入りする際、「感覚的には全10チーム中12チームからオファーがあった」が、当時関西唯一のチームで下位争いが予想されていたガンバ大阪を選んだ。

「京都の舞妓さんと遊びたかった。まあ、釜本(邦茂)さん(当時監督)に美味しいステーキをごちそうになって、断れなかったのかな」

 低迷するガンバでも、礒貝に対する周囲の注目度は高く、同期入団した平岡直起は「憧れと言うのもおこがましいくらい雲の上の人だった」と述懐する。

 しかし、J入団後、礒貝に対する評価は割れた。

「才能はあるが走れない」

「キックの質はいいが、プレーに一生懸命さがない」

 賞賛と批判が混ざり合う。言われても仕方のない態度を、礒貝自身もとっていた。たとえば、こんなことがあった。