シマジ へぇ、学生運動に参加しただけでですか。ヤクザは入国するのは難しいと聞いたことがありますが。
奥村 そうなんです。ずっと青春時代の烙印がつきまとうんです。
シマジ あのころはみんな学生紛争にはお盛んでしたからね。
奥村 シマジさんはどうされたんですか?
シマジ わたしは当時、一種の心身症にかかっていて、約1年間だれとも会いたくなくなって、ただ1人部屋に閉じこもって本ばかり読んでいました。その前は女道に耽っていましたがね。ある日突然、こんなことをしていていいのか、と反省して引きこもりになったんです。
奥村 その青春時代の結果として、プレイボーイになっていったんですか?
シマジ いやいや。気がついたら『週刊プレイボーイ』の編集者になっていたんです。まったく人生は運と縁ですね。
奥村 わたしは父親も母親も千葉大出の医者でしたので、迷わず千葉大の医学部に進みました。有名な中山公明先生が父と親友でして、たまたまうちに遊びにきましてね。きれいな芸者を侍らせて酒を飲んでいる姿を、障子の隙間から覗いて、医者になればああいうことができるんだなと、少年のころ思ったんです。
シマジ 子供のころに強烈な憧れを抱いたことが医者になる動機になったんですね。まさしくそれも縁ですよ。
セオ 奧村教授、新しいカプチーノを入れましょうか。
奥村 是非ください。これは何杯でも飲めますね。
シマジ 教授、牛乳は免疫学的にみてどうなんでしょう?