私は、父の死というまったく私的な問題と、震災で二万人近くの人が亡くなったという問題とを、新しく生まれた小さな命の傍らで、毎日考えていた。そして、死んでしまった人が、また生き返って、遺族と再会する光景を思い描くようになった。それが、この度刊行した小説『空白を満たしなさい』の世界観となっている。
ごく平凡なサラリーマンの土屋徹生は、ある日、遅い時間に会社から帰宅すると、呆然とする妻から、あなたは三年前に死んだはずだと告げられる。
彼は、全国で次々と生き返り始めた、「復生者」と呼ばれる人間の一人だった。
復生者たちは、当然、家族や友人たちから歓迎される。ところが、徹生の妻だけは、彼が生き返ったことに戸惑いを隠さない。
徹生はそもそも、自分が死んだという記憶がない。その彼に、妻はこう告げる。――あなた、自殺したのよ、と。
徹生には、自殺する動機などまったくなかった。彼は、その三年前、自分は確かに幸福だったはずだと思い返す。
失われた過去の空白の中から、少しずつ記憶が蘇ってくる。それにつれ、彼は自分が、自殺に見せかけて、殺されたのではないかと疑い始める。犯人の心当たりもある。その男を捜し出そうとするところから物語は始まる。・・・・・・
何がこの時代の幸福なのか? 今を生きることの何が喜びで、何が苦しみなのか? どうして多くの日本人が、今、自らの命を絶っているのか? そして、いずれは誰も避けることの出来ない自分の死、他人の死を、どうすれば受け容れられるのか?
そのことを、従来の古い価値観や通念から離れて一から徹底的に考え直したかった。今を生きる人が、心から信じられなければ、そんなことを書いてみても意味がない。
自分という存在を巡っては、『決壊』以後、取り組んできた「分人」という考え方が、本作でも更に深められている。