[虎四ミーティング]
本田武史(プロフィギュアスケーター)<前編>「長野、ソルトレーク五輪の舞台秘話」

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長野で知った選手村の重要性

二宮: 4回転ジャンプは今や男子ではメダルを獲るための必須条件となっていますが、日本人で初めて成功したのが本田さんでした。
本田: 公式の大会で初めて跳んだのが19歳でしたね。

二宮: その3年前に長野五輪に出場。16歳の天才少年に、日本中が注目していましたが、足首を痛めていて万全ではなかったようですね。
本田: はい。五輪前に4回転の練習で足首をひねってしまったんです。

二宮: 私も会場で取材させていただきましたが、相当緊張している様子が伝わってきたのを覚えています。
本田: まだ高校2年生でしたからね。何もわからない状態で臨みました。

二宮: ショートプログラムで18位と出遅れてしまい、結果的には15位でした。実力を発揮することができず、悔しい思いが残ったのでは?
本田: そうですね。だからこそ、次のソルトレークまで頑張ろうと思えたところはありました。

二宮: ソルトレークではメダルには届かなかったものの、日本人過去最高の4位でした。長野での経験が生きた面はありましたか?
本田: 実は僕、長野の時は選手村には入らずに、別の合宿所のようなところにいたんです。集中力を高めるためにそうしたのですが、逆に1人でいると、いろいろと考え込んでしまいました。それで他の選手とワイワイやっていた方が気持ちも楽になったんじゃないかと思ったので、ソルトレークの時には選手村に入りました。

二宮: 選手村での生活はいかがでしたか?
本田: 良かったですね。他の選手たちと一緒にいることで、安心感がありました。夜、興奮と緊張とで眠れなかった時なんかは、スピードスケートの選手と「ジョギングにでも行こうか」と、外に走りに行ったりもしました。

二宮: それが演技にもつながったんですね。ショートプログラムでは2位と好発進。「日本人初のメダル」にも大きな期待が寄せられました。しかし、惜しくもメダルにはあと一歩届きませんでした。3位との差はほとんどありませんでしたから、長野以上に悔しさが残ったのでは?
本田: 自分自身では納得していました。というのも、僕の目標は前年の世界選手権での5位以上だったんです。逆に、ショートプログラムで2位になったことが、驚きでした。金メダル候補のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が、まさか転倒するとは思いませんでしたから……。