典型的なピューリタンと、自他ともに任じているロックフェラー夫妻が、この調度に対して、どのような感想を抱いたか、は非常に興味深い問題だが、残念ながら、その記録は残っていない。分かっているのは、ロックフェラーが、アラベラの残した擦り切れた何枚かのカーペットを地元の教会に寄付したという事だけである。
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もちろん、ロックフェラーはみみっちい寄付に甘んじていたわけではない。一八八一年、六万千ドルを寄付し、その三年後には、十一万九千ドルを寄付した。
彼の社会貢献のなかで、特筆すべきは、黒人教育、それも高等教育に対して深くコミットしてきたことである。
ロックフェラーは、きわめて保守的な人物だったが黒人教育に対する情熱は突出していた。あらゆるロックフェラーのファイルのなかで、一番厚いのは、黒人問題のファイルだ、とまで云われている。
ロックフェラーは、ソフィア・パッカードとハリエット・ジャイルズという二人のバプティストの女性活動家の訪問を受けた。二人は、読み書きが不自由だが、情熱だけはふんだんにもった百五十人の黒人女性たちが、教会の地下でろくな灯火もないなか、学んでいる姿をロックフェラーに想い描かせた・・・・・・。煙と埃の立ち込める空気を吸い、頭上の暖房用パイプをよけながら、ひざまずいて長椅子の上で文字を記し、数学の時間には長椅子の上に棒を並べて四則を教え込もうとした。
ソフィアとハリエットが配れるものは、聖書と筆記用具だけだったという。切々たる物語に、ロックフェラーは打たれた。
お続けになるつもりですか、と彼はソフィアに質したという。
「どうか黒人のみなさんにお伝えください。私はみなさんにご同情申し上げるとともに、関心を抱いております。書物からの知識に加えて、あらゆる種類の仕事を学ばれ、どのような階級の人々よりも上達されるよう努力してください、と」(letter to Dr. Morehouse, August25, 1885, 井上廣美訳)。
『週刊現代』2012年12月22・29日号より