第15回 ロックフェラー(その三)
恐慌は大チャンス。吸収と合併で稼いだ巨額の財産は何に費やされたか

福田 和也

 傘下に収めた精油業者にたいして、金廻りがよくなったと云ったり、振る舞ったりする事を戒めた。

この契約については奧さんにも秘密にしておいてください。金が入るようになっても、だれにも気づかれないように。暮らしぶりも変えてはいけません。速い馬を乗り回したいなんて考えてはいませんよね?」("Winkler", John D.,井上廣美訳)。

 当初、ロックフェラーは、石油樽やタンク車を買い占めるという強引な手段を用いたが、次第に穏健になっていった。ライバルを倒すよりも、相手を味方にする方が、合理的である事を理解した。吸収した会社の首脳陣をずっと抱えつづけたため―その中の少なからざる人間は、経営者としての資質をほとんど備えていなかった―役員名簿は給料ばかりが高くて無能な人々の長い長いリストになってしまった。

 一八八三年、ロックフェラーは住み慣れたクリーブランドを離れ、ニューヨークへと移った。これまでも冬の休暇はニューヨークで過ごしていたが、遂に本拠をニューヨークに移すことにしたのである。

 ロックフェラーとその妻、セティが購入した屋敷は、いささか、彼らの主義に反する物件だった。彼らが選んだのは、鉄道王コリス・ハンチントンの愛人だったアラベラ・ワーシャムの屋敷だったのである。

突出した情熱を注いだのは黒人教育

 アラベラは、姪と偽ってハンチントンと暮らし、その妻が亡くなった後、正妻に収まった。ハンチントンとアラベラが暮らしたのは、いかにも妾宅という風情の、目立たない屋敷だったが、そのインテリアは、とてつもなく奇抜なものだった。ムーア風の大広間に、トルコ式蒸風呂があり、主寝室はイギリス式と日本式の装飾がほどこされ、橇の形をしたクイーンサイズのベッドもあったという。

 居間には、コローやメソニエといったフランスの巨匠たちの、あまり健全とはいえない裸体画が掛けられていた。

 さらにニューヨークで最初の個人用エレベーターまで装備されていたのである。