第13回 ロックフェラー(その一)
「石油王」の誕生---
鉄道と電信を生かす事務作業が、若かりし彼を鍛えた

福田 和也

 ドレークの成功は、長続きはしなかった。偽大佐は実業に馴じめず、ペンシルバニアを高名にした功績にたいして、わずかな年金を支給された。彼の死後しばらくして、思いだしたように石油業界のお歴々は、大佐の功績を検証して、立派な記念碑を建立した。

 そして、ジョン・D・ロックフェラーがやってくる。

何度も金庫を開けては、銀行券をうっとりと眺めた

 貧しく身持ちのよくない---父には二人の妻がいた---行商人の子として生まれたロックフェラーは、十六歳で農産物仲買商ヒューイット&タトルの帳簿係として雇われた。そして、それは、まさしく、彼にとっての天職となった。

ロックフェラーにとっては、帳簿とは、感情に惑わされて誤りを犯すことがないよう導き、正しい決定をもたらしてくれる聖典だった。業績を正しく評価し、不正をあばき、非能率な点を探り出してくれるもの、あいまいなこの世で、物事を確固たる事実として確立してくれるものだった。彼はずさんな商売敵にこう言って、たしなめたことがある。

『どれほど頭の良い者が帳簿をつけていたとしても、たいていは、どんな場合に儲かり、どんな場合に損をするのか、実際にはまったくわからずやっているんだよ』。

 ヒューイット・アンド・タトルの支払いを担当するよう命じられると、ロックフェラーは熱意をあらわにして仕事に当たり、年に似合わぬほどうまくこなした。しかも『自分の金を使うとき以上に責任感を感じた』という」(『タイタン ロックフェラー帝国を創った男』ロン・チャーナウ、井上廣美訳)

 ヒューイット&タトルは、大きな会社ではなかったが、手広く様々な商品を扱っていた。食料品を手はじめに鉄鉱石なども扱うようになっていた。ロックフェラーにとって幸運だったのは、彼が仕事をはじめた時に、まさしく、商業の近代化がはじまり、津波に襲われたように、それまでの取引システムが駆逐される、新時代が幕を開けたことである。

 鉄道と電信。

 この、二つの技術が一切を駆逐した。そしてロックフェラーは見事に、その変化に適応したのである。