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アダム・スミスは、道徳的な観点、経済的な観点から人間の幸福論を説いていました。ただしこれまで紹介した話はほとんどが「自分の幸福」「個人の幸福」についてです。このように考えた方が、自分が幸せになれる、国の富が増えれば・失業がなくなれば、個人が幸せになれる、という具合です。
しかし、「こうした方が誰か、他の人のためになる」という他人との関わりの話はあまり出てきていませんでした。
では、スミスがそのようなテーマに全く言及していないかというと、そうではありません。「他人との関わりの中で、どう生きていけばいいのか?」、スミスはいくつか大切な指摘をしています。
《原 文》
人間のあいだでは、もっとも似たところのない資質こそたがいに有用なのであって、彼らそれぞれの才能のさまざまな生産物が、取引し、交易し、交換するという一般的性向によって、いわば共同財産となり・・・(『国富論〈1〉』P 42)
《意 訳》
人間社会では、他人と異なる能力こそが意味がある。その能力を使いお互い「助け合う」ことで、個々人の能力が社会の共同財産になる。
人は、自分と他人を比べたがる生き物です。自分と他人を比べて、できるだけ「同質」であろうとし、反対に「異質なもの」を拒否する傾向があります。これは特に日本人に強い感覚かもしれません。
ところが、スミスは、同質であることは意味がない、異質だからこそ意味があると考えていました。スミスは、これを精神論ではなく、社会の中の役割という視点から説明しています。
こういう理屈です。
人間社会と経済が発展するためには、分業が不可欠です。分業できるからこそ、生産性が高まり、国民に行き渡るまでに富を作り出すことができるのです。
ところが、人が分業をするためには、個々人の能力や「向き・不向き」が異なっている方が都合がよいのです。人それぞれ、得意分野・不得意分野が異なるからこそ、自分に合った仕事を選ぶことができる、ということです。
もし世の中の人間がみんな同質で、同じ能力・同じ趣味嗜好・同じ考え方をしていたら誰もが同じような製品しか作れないでしょう。これでは社会がうまく回りません。
体力仕事が得意な人、手先が器用な人、考えることが得意な人など、様々な違いがあるからこそ、分業体制は機能し、人間社会は発展していくのです。
まさに、人間は「違うからこそ価値がある」のです。