創刊28周年企画 重大事件、事故、天災「九死に一生」生存者たちの秘話15 part1
歴史的惨事に居合わせ、ホンのわずかの偶然で「生かされた」人たち。極限での生のドラマを、当事者やその家族が、あらためて振りかえる---。
日航機墜落事故 '85年8月12日
524人の内、4人が生存。奇跡の生還者が抱える心の闇


「元気でやっていますよ。でも、娘からは『もう取材は受けないで』って言われているんです。あることないことネットに書かれているらしくて、嫌になってしまったのよ」
都内に住む吉崎博子さん(61)は、本誌記者の取材に笑いながらこう答えた。
乗員乗客520人が命を落とした日航機墜落事故。救出されたのはわずかに4人で、生存率は1%にも満たない。彼女と娘さんは奇跡の生還者のうちの二人なのである。
当時、吉崎さんは兵庫県芦屋市に家族5人で暮らしていた。夏休みに東京の実家に里帰りし、その帰路で事故に遭遇。家族全員が機内の後部座席に座っていたが、夫の優三さん(当時38)、長男の充芳くん(同9)、次女のゆかりちゃん(同6)の3人が帰らぬ人となり、吉崎さんと8歳だった長女の美紀子さんの二人だけが生き延びたのである。
事故から10年後、東京の実家に身を寄せていた彼女は、本誌の取材にこう答えている。
「離陸してしばらくすると、パーンという音がして、機体が右へ左へと激しく揺れ始めました。私は具合が悪くなった長男の面倒を横で見ていましたし、パニックになる余裕はありませんでした。いよいよ墜落という時のことも覚えています。まるでジェットコースターが真っ逆さまに急降下していくような感じです。ドーンとなったところで意識はなくなりました。暗闇の中で目を覚ますと、ヘリコプターのサーチライトが見えました。その時は、まだガヤガヤと人の声も聞こえていたんです。自分が生きているんだから、みんなも助かったんだと思っていましたね」